2024年3月の読書メーター 読んだ本の数:12冊 読んだページ数:3079ページ ナイス数:1146ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/27888/summary/monthly/2024/3
【とても気になったので 生成AI Gemini に訊いた 2024.0428】 世界に7枚あッたVANGOGHの 本物の ひまわり のうち一枚は日本の神戸にあった時に戦災で燃えてしまった。これほんと? 【以下Geminiの返答】 はい、本当です。 ゴッホが描いた「ひまわり」は全7枚存在し、そのうち1枚は1920年代に神戸の貿易商によって購入されました。しかし、1945年3月17日の神戸大空襲で、この作品は焼失してしまいました。
神戸にあった「ひまわり」は、1889年に描かれたもので、縦幅は約92cm、横幅は約73cmの大作でした。ゴッホは、この作品を含めて3枚の「ひまわり」を制作しており、3枚とも花瓶に活けられたひまわりを描いています。 神戸の「ひまわり」は、現在残っている他の6枚と比べて、色が鮮やかで筆致が力強いのが特徴でした。また、花瓶の後ろに緑色の壁が描かれており、他の作品とは異なる構図になっています。 この作品は、ゴッホの代表作の一つであり、日本の美術界にとっても貴重な作品でした。その焼失は、大きな損失と言われています。
今回はいつもと違って物語の要約/概要を少し書くことにする。なぜ,って。なんかそういう気分なのだ。 全体として二次大戦当時のアメリカと云う国の豊かさや民主的な部分がかなり詳らかに描かれていると感じた。当時の日本側の悲惨さと比べるとこりゃもう戦争したって端から勝てるわけがない,ということの確たる証拠みたいなもんだな。もちろん僕の年齢では当時の事を我が目で見たり耳で聴いたりしたわけではないが 戦時中の事は映画やテレビや本 あるいは曾祖父母からの直接口伝などで 嫌と云う程に事情を仕入れているからなぁ。
洗濯物は男女別,と云うお話。リトルトーキョーでは洗濯屋を営んでいた主人公の両親がもし故郷鹿児島へ帰っても。「いや,鹿児島の加治木は,家族の洗濯もんも,男と女は別々の盥(たらい)を使う土地でアメリカ式の洗濯屋をやるちゅうことは,・・・」そっか,昭和初期のしかし日本の一部の地域でのことだな。うちなんかは四国の田舎町だったけどいしょくたに洗ってたもんな。(笑いながら「中(巻)へつづく,と思うw)
同様に「店にお客が入りきらない・・・」という言い回しを幾度も用いてその新規店が上手くいった時の状況をしつこく説明している。これも一二回なら おおそうか とも思うが,こうも毎回「店に御客が入りきらない」とやられるとうんざりだ。長いストーリーなんだから新規開店なんて沢山あるに決まってる。上手い言い方を考えたつもりだろうがこれは相当にしつこい!
要するにこの本は前段に書いた 推敲行為 が決定的に欠けている本なのだな,と感じた。まあなにもこの本に限った事ではなくて最近の出版界全体の傾向なのだが。言わずもがなだが 紙に表記するでないネットの文章は たとえマスメディアが掲載したものであっても全く推敲されていない物が散見される。言葉は変わっていくものだけれど意味が通じなくあきらかにおかしい文章を正当化する事など出来る訳はない。
山下達郎のファンであることにも触れている。志村がいつも好きで聴いている音楽はなんと「R&B」らしくて それは単純に好きだから聴いているだけで誰が演奏してるとかだれが作った曲高には全く興味なくどうでも良いらしい。でも達郎の「クリスマス・イヴ」だけは褒めちぎっていて,日本のクリスマスソングのスタンダードだ,とまで言っている。うん僕も同感です。
この本をどこまで志村けん本人が書いたのかはともかく,読み終わって思う事。ひとつは文中で使う一人称について。全編「オレ」で通している。人によってこの印象は違うだろうが僕はちょっと違和感が有って志村の文章は「ボク」の方がしっくりくるなぁ と思った。 もうひとつは,ホントウに惜しい人を亡くしたなぁということ。まだまだ生きて皆を笑わせて欲しかったなぁ である。あ,最後は ちょっと僕らしくない感想になってしまったか。すまぬな。
と思ったらのっけから全作品がその手の話題満載の短編集ではないか。こういう話題は僕だってまあ嫌いではないので(^^)/ すらすらスイスイすこすこ読み進める。 どの短編も途中まではそこそこに いやすこぶる面白い。だけど最後のオチはとてもじゃないけど下らない。そう,下っていないんだ。本作を書いて上梓する事によって短編作品の オチ というものがどれだけ難しいか西加奈子にも思う存分焼き付いた事だろう。がんばって。
僕は 二人の女性作家の見分けが付かなくて 自分でいつも問題視している。もうひとりの西城奈加の作品ばかりここしばらくは読んでいたのだけれど,もうこの『わたしに会いたい』で決定的に僕の内で二人の区別がついた! でも10年近くはこの見分けつかねー混乱の解消に掛かった様な気がするw。そしてづっと ” けっ テヘラン生まれだって,ああ鼻に付く ”なんて言っていた僕の西加奈子に対する偏見も今作で綺麗サッパリ消えた。やれ嬉し。
この作品は実は本格ミステリーなのか? 僕には全く意味不明。きっと色々こまごまと解っておられる読者さんもいらっしゃるのだろうけど,僕は分からないのでちっとも面白くない。この時点で加納朋子は読者を既に一名失う事になっている。昔読んだ加納の本が面白かった記憶があったので本書も手に取ってみたのだが,考えてみれば一旦いなくなった作家がまた現れたら同じく面白い作品を書ける,と決まってるわけも無く。残念。
本書と童謡「ななつのこ」とのかかわりを今更ながらに考えてみた。 ♬カラスなぜなくの カラスは山に かわいいななつのこがあるからよ♪ という僕ら世代ではかなり有名で 空で歌詞を口ずさむ事が出来る。この「ななつのこ」という言葉の意味は「たくさんのこども」という事らしく 別に「七歳の子供」と云う事ではないらしい。ちなみに少し調べるとカラスの寿命は7年から8年くらいなのだそうだ。(笑) 懲りた。すまぬ。
さらに作者は何気に知識をひけらかす。たぶん本人としては ひけらかしているつもりは毛頭ないのだろうけど 普通の人ならこれは鼻につくこと間違いなし。それは本文114ページに書いてある英単語 ” simultaneously ” もちろん僕は知らないし 僕は読めないし 僕は意味もサッパリ分からない。そして鼻につくので読みや意味を調べてみる事もしない。ああ鼻に付く。
ところでどこかで著者小川哲のことをSF作家みたいな事が書かれているのを読んだ気がするがこの作家のどこがSFなんだ。ちっともわからない。強いて言えば似非数学作家だろうがw。物語はいちいちは面白く読めるけど どこにもオチは無いしラストもラストにはなっていない。連載した作品みたいなので,まあ惰性で始まって回数が来たかr仕方なく終えた,という状況が手に取る様に分かる。誠に 駄 だった。すまぬ。
新渡戸稲造の著書『武士道』での名言 There is nothing as beautiful as dedicating one's life for a cause.「大義のために自分の人生を捧げることほど美しいことはありません」を英語で的確に訳した外国人の下りがある。筆者はこの新渡戸の武士道が原文は英語で書かれている事を知った上でこれを書いているのだろうけど,それにしては状況やら語彙がおかしいだろう。原文が英語だという事をよもや知らない訳も無く・・・。いや待てよ もしかすると知らんのか(笑)。
本書は最初に著者の言で「敬称略で書きます」という意味の事が明言されている。なぜだろう。津波の被害者達に対して最初から呼び捨てである。思うに 僕が話題にしてきた「取材」という悪しくいまわしい伝家の宝刀の切れ味を上手く活かそうとしているのに,一々相手を敬称で呼んでいると なんだか威厳が落ちる様な気がしてくるからだろう。マスコミという言わば情報社会のヤクザ連中とはつくづくそういう思想と体質を持っているのだなぁ,と あらためて感じた。
ではなぜそんな話題をあえて選ぶのか。ひとえに他に話題が無いからだろう と僕は思うw。コロナバイラスはもとよりウクライナ侵攻も ちょうどフランス料理の食材の入手具合にモロ影響するのでこの物語ではかなり座りが良いのだ。つまりは コンドーさん その辺は時事ニュースで良い とあきらめていますな(笑)
このシリーズの売りとしては 某フランス料理店のシェフが名探偵なのだそうだ。なんでも「シェフは名探偵」というのが 正式かどうかはともかくこいつのシリーズ名らしい。でもこの本を読む限りシェフは変わり者ではあるけれど決して探偵などではない。コンドーさんもシェフが探偵のつもりで書いてなどはいないだろう。売る側(出版社とかw)早とちりってもんだな。なむなむ。
さて読了したものの サッパリ中身が分からなかった本書をこの先どうするか。再度読んでもやはり理解困難の様な気がする。すると三度読めば分かるのか。たぶんこの後二回続けて読めば内容とストーリーが分かって楽しめるだろう・・・とは絶対思えない。おすすめないですw。すまぬ。
で,ここでしつこく再度解説のモンダイ。やはりこんな解説があるか! 戒めの為に解説者の名を暴露しておく。「渡邊利道」というやからだ。Wikiってみたが,なんと僕と同い年のSF作家のご様子だ。SF作家に翻訳SFの解説なんて書かせるものじゃない,ということを本書の解説で僕はキチンと学んだ(笑)。 ありゃ本の中身の話/感想文が一つも無かった。まあ僕のはいつもこんなもんだ。すまぬ。
2022.1209もうほとんど使っていないFacebookのアカウントを閉じる準備を始めた。色々と壁はありそうだが勇気をもって閉じよう。泥と化した船からはどのみち降りなければならないのだから。
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ではなぜそんな話題をあえて選ぶのか。ひとえに他に話題が無いからだろう と僕は思うw。コロナバイラスはもとよりウクライナ侵攻も ちょうどフランス料理の食材の入手具合にモロ影響するのでこの物語ではかなり座りが良いのだ。つまりは コンドーさん その辺は時事ニュースで良い とあきらめていますな(笑)
このシリーズの売りとしては 某フランス料理店のシェフが名探偵なのだそうだ。なんでも「シェフは名探偵」というのが 正式かどうかはともかくこいつのシリーズ名らしい。でもこの本を読む限りシェフは変わり者ではあるけれど決して探偵などではない。コンドーさんもシェフが探偵のつもりで書いてなどはいないだろう。売る側(出版社とかw)早とちりってもんだな。なむなむ。