国家が人生を保障するという命題を採用した社会では、経済的制約を考える機会は無くなり、人生は性愛を含め死ぬまで自由にしたいことを追求するプロセスと化す。対して人生は自己責任で作るという命題を導入した社会では、常に経済的理由に制約されるのが人生だと観念され、そんな制約を気にせずに済むティーン学園時代が最高SSSランクの価値を付与される(青春を犠牲にした漫画家とかは永遠に劣等感を拗らせる)。著者が驚愕したセーラームーンや犬夜叉もまた主人公が中高生。ピンクの表紙からは想像できない欲望分析に、不意を突かれた悔しさ。
まず真っ先に置かれたフォルエルバッハからの引用が、とりわけ印象的だし核心的。「しかしもちろん我々の時代は…事象よりもイメージを、オリジナルよりもコピーを、現実性よりも表象を、本質よりも外観を好む…。それどころか現代人の眼の中では、ちょうど真理が減り幻想が増えるに比例して、神聖さが高まってゆく。そうして現代人にとっては、幻想の絶頂こそが、同時に聖なるものの絶頂ともなる」『キリスト教の本質』
ロシア出身の作家ナボコフが英語の慣用句「to cut a long story short手短に言えば」をちょっとだけイジり非母語話者らしい感覚で遊んでいた逸話を読み、動画で見た非英語ネイティブの哲学者ジジェクの話術を思い出す。ジジェクが討論中に無理矢理ねじ込んだ表現:「I'll try, if you are stupid enough to believe me, to be brief手短に、と私が言うのをあなたが信じるほど間抜けだとすればの話だが、述べてみましょう」
不貞なNTRの比喩はマルクスにおいて、貨幣崇拝を解剖する比喩として使われる。「貨幣は、その前では他のいかなる神も存在しないかもしれない嫉妬深いイスラエルの神である。貨幣は人類のあらゆる神々の品位を汚し、それらを商品に転換する。…それゆえ、貨幣は全世界から、自然はもとより人間世界からそれにふさわしい価値を奪った。貨幣は人間の労働と生活の疎外された本質であり、このよそよそしい本質は、人間がそれを崇拝するとき、人間を支配する」『ユダヤ人問題に寄せて』
「より長く学ぶことは、それだけ長く自分の頭の悪さに直面し続けることだし、より深く学ぶことは、それだけ深く自分の間抜けさと向かい合うことだ。…才能の限界が見えようと、スランプに陥ろうと、若輩者がどんどん自分を抜いていこうと、病気や事故か何かでそれまで得たたくさんのものを失おうと、もうそれを学ぶことなしにはいられないから続けるんだ。コスパの勘定ができないからバカだし、繰り返しバカであることを自覚させられるから(謙遜抜きに)自画像的にもバカだろう。だが〈中級の壁〉を越えて、ずっと先まで行くのは、そういうバカだ」
「この画像をよく見てください。
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ここに投影されているのは、
最高度に純粋なファンタスムの原理、
すなわち、
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あらゆる思想家、哲学者、文学者、作家、芸術家、音楽家、映像監督、心理学者、分析家、批評家…
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といった人々の、最も真実な願望なのです」
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「より長く学ぶことは、それだけ長く自分の頭の悪さに直面し続けることだし、より深く学ぶことは、それだけ深く自分の間抜けさと向かい合うことだ。…才能の限界が見えようと、スランプに陥ろうと、若輩者がどんどん自分を抜いていこうと、病気や事故か何かでそれまで得たたくさんのものを失おうと、もうそれを学ぶことなしにはいられないから続けるんだ。コスパの勘定ができないからバカだし、繰り返しバカであることを自覚させられるから(謙遜抜きに)自画像的にもバカだろう。だが〈中級の壁〉を越えて、ずっと先まで行くのは、そういうバカだ」