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2024年4月の読書メーターまとめ

イプシロン
読んだ本
11
読んだページ
3250ページ
感想・レビュー
11
ナイス
900ナイス

2024年4月に読んだ本
11

2024年4月のお気に入り登録
1

  • やいっち

2024年4月のお気に入られ登録
1

  • やいっち

2024年4月にナイスが最も多かった感想・レビュー

イプシロン
理想と現実の乖離に悩み、目に映るものすべてを見下して批難し、ときに誹謗中傷してしまう心理は、多くの人がある時期に経験するものだ。かつまた、メタ認知力のある人なら、何にでも怒りを吐き散らしている自分に自己嫌悪をおぼえ、抜け出しようのない怒りの無間地獄に陥っていると察知する場合もある。そして、そこから脱しようともがくことで、目の前の現実を変えるのではなく、自分のものの見方を変えるべきではと考え、宗教や哲学に目を向ける人もいる。しかし、宗教や哲学を探求することはまた、宗教や哲学がもつ矛盾(教義と実態の違い=
イプシロン
2024/04/19 20:05

さて、こういう解体新書のような感想をサリンジャーが見たらなんというだろうか? 多分、彼からしたら一番やめてほしい行為だろう。それは解っているのだが、あくまで参考という意味で書いたつもりだ。小説の解釈など、個々人それぞれでいいと私も思っているからだ。ということで(言い訳がましいが)これは私の個人的見解であり感想であることを断っておきたい。

イプシロン
2024/04/19 20:38

余談の余談だが、「フラニー編」でレーンが食べる蛙はキリスト教的には「死・吝嗇(ストイシズム)」であり、民間信仰だと「魂(生と豪奢=スノビズム)」の暗喩であり、カタツムリは「忍耐力」であり、フラニーが食べたオリーブはキリスト教的あるいは古代ギリシャ的に「神聖・平和・美・長寿・栄光」、「ズーイ編」で塗りつぶされる「O」は輪廻の否定と肯定かなんかの暗喩であろう(もちろん、個人的な見解にすぎない)。

が「ナイス!」と言っています。

2024年4月にナイスが最も多かったつぶやき

イプシロン

リルケの詩の現象学的構造 >> こういう研究もされていたとは! 驚きつつも嬉しくなった。つい最近『マルテの手記』を読み終えて感じたのは、フッサール現象学に似てるな……という漠然とした感覚だった。真実は言葉をもっては語れない。言葉にした瞬間、それはまったく正しく伝わらないからだ。しかし、言語というものはそもそも自然発生的なものなのだから、自然に湧き上がってくる言葉をなるべく加工しないで吐き出せたなら、そこには普遍的な自然が幾分かはふくまれ、その自然に隠れた真実や普遍性が誰かに伝わることはありえるのだろう。

朝乃湿原
2024/04/18 09:02

イプシロンさん、丁寧な返信ありがとうございます。詩は中原中也を少し読んだくらいで、さらに外国となると仰るとおり、言語の壁に阻まれてなかなか手が出ません。音楽が好きなので、ワーグナーの歌劇をいつかは聴いてみたいと思っておりますが、ドイツ語を少しでも学ばないとほとんど理解できないと思います。リルケの『若き詩人への手紙』は是非読んでみたいですね。

イプシロン
2024/04/18 09:54

朝乃湿原さん、リコメありがとうございます。まあ、あんまり神経質にならずにぶちあたってみるのがいいかと思います。ワグナーの歌劇は翻訳詩でも感情が十分伝わってくるので、まずは聞いてみるのが吉かと。タイトルによりますが、今はYouTubeで気軽に全編見ることもできますしね(『指輪』は長いので、しんどいですけどね:笑)。ちなみに、私の一推しは『さまよえるオランダ人』だったりします。

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2024年4月の感想・レビュー一覧
11

イプシロン
(再読)ゲーテの残した言葉によると「主要な仕事の頂点」は『ファウスト 第二部 第三幕』だと知って読んだので、今回は全編の見晴らしがよく見えた。そこから(一応、解説にもあるが)、本作の命題は一神教であるキリスト教世界観と多神教である古代ギリシャ世界観の合一を夢見たゲーテの思いが強く感じとれた。それは、ドイツ・キリスト教圏のファウストとギリシャ多神教圏のへーレナの結婚として表現されているからだ。また、二人の間に生まれた子は、両者の合一から生まれた汎神論であり自然観であるといえる。しかし、まだそうはなっていない
イプシロン
2024/04/29 16:59

これを享受するに価する人間といえるのだ」という部分と併せ持って読むなら、なおさら感動することだろう。

イプシロン
2024/04/29 17:35

余談だが、本著訳出は1950(昭和25)年なので、固有名詞の音訳が現代とは異なるので、かなり読みにくいといえる。第二部はギリシャ神話の神々やニンフ、妖怪が沢山でてくるので、その辺りで苦労したくない向きは、池内紀(散文調・集英社)、柴田翔(韻文調・講談社)といった新しめの翻訳を選ぶといいだろう。また、ゲーテは本作はエンタメとして読んで欲しいと遺言したそうだ。道徳や真理を追求しながら読まなくては! と、自ら敷居を上げる読み方をしなくていいんだよ、と。

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イプシロン
(3読目)愛にもいろいろある。親子愛、友愛、異性愛など……。しかし、それらの中核となるのは神の愛だ、と。では神とは? と問うて追求していくと、神については一切知ることができない。いわんや名前をつけて対象化することさえできないとなる。しかし、その神性がわれわれ一人一人のなかにあるとするなら、われわれが自他を愛するということは、何も知らないのを大前提として、自他を尊敬し、配慮し、行為し、そして責任を持つことである、と。キリスト教的にいえば「沈黙する神」、仏教的にいえば「絶対無」こそ神仏の本性であると言えるが、
イプシロン
2024/04/29 08:55

つまり、自他を愛したいなら、常不軽菩薩になるとか、身口意における非暴力主義者になるとか、しかないのであろう。「すべてのものは暴力におびえ、すべてのものは死を恐れる。己が身にひき比べて殺してはならぬ、殺されてはならぬ」を実践することが愛するということなのであろう。当然、著作の時代的に、同性愛やLGBTQ+に関する記述はないが、そうした方面に対する回答もあると言っていいだろう。そうした人に対して、勝手な印象を抱いてあれこれすんな。所詮、我々は何も知れないのだから、尊重するしか出来ないのだから、と。

イプシロン
2024/04/29 08:56

まあ、人間は社会的な生き物なので、社会習慣に強く左右されるので、この問題は、社会構造が愛を根底として変革されない限り、解決の糸口はないのだろうが。

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イプシロン
(再読)第一部はグレートヘンの悲劇が描れる。物語のあらすじは複雑ではないが、そこにある思想や暗喩を読みとるにはそれなりの思索力がいる。とはいえ、そこは訳注が非常に役立つ。主題は、生命を対象化する(=知識の獲得)ではなく、生命を体験的に生き、それを直観的に観照したときに得られる知恵、そしてその知恵を上手く使う叡智とはどんなものか? という問いであろう。だが、第一部ではいまだその片鱗しか見えない。とはいえ、それは「はじめに言葉ありき」から「はじめに業〔わざ(行為)〕ありき」という転換として現れてくる。
イプシロン
2024/04/24 18:47

多分、ゲーテも、学問は研究したいと思うものを対象化せざるを得ないと知っていたと思われるが、こういう思想はいささか極端だと言えよう。極言すれば、確かにゲーテの言う通り、人生は生命を体験しながら生命を探求することとは言えるが、それが出来る人は、天賦の才に恵まれた人であろうから。また、そこに至るにはある程度の知識を得てこれ以上知識を蓄積することに意味はないという、ファウストと同じ境地に立つ必要性もあると言えるだろう。ともあれ、第一部はいまだ命題がよく見えないので、グレートヘンが救われた理由も曖昧といえる。

イプシロン
2024/04/24 18:51

解説によれば、彼女が救われた原因は、伝統的キリスト教解釈(キリスト贖罪論=彼女に罪の自覚があったこと)によるとあるが、それだとゲーテが一時期心酔したスピノザ的汎神論との関係がいまひとつよく理解できないのだ。したがって、これも解説にあるように「第一部を読んだ人は、第二部を読まなければいけない」という言は的を射たものといえるだろう。

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イプシロン
『じゃじゃ馬ならし』から読み取れる教訓を3つ述べるなら以下になる。「好きこそものの上手なれ」。好きでもないのに金のために嫁取りをしたり、女を賭けの対象にしても、何も得るものはない。「人の振りみて我が振りなおせ」。劇を見て嘲笑している無頼漢スライもまた、騙されて慰み者にされているという劇中劇の構造から、そういえる。「押しても駄目なら引いてみな」。自分がやりたいことをする為には、目先のことに拘らず、表面の些細な事は相手に同意して、目的を達成するほうが賢い、と。つまり、主人公といえるカタリーナは馴らされたように
イプシロン
2024/04/21 09:32

同様に、オレンジ(「中身の腐ったオレンジ〔貞淑に見えても内実は婬猥〕のような嫁なんかいらない!」という科白がある)が、当時は高価な果物であった時代性も顧慮しておくと、一層楽しめることだろう。ちなみに、現在でもオレンジは恋人たちが愛を確かめるモチーフにされていて、4月14日はオレンジデーと呼ばれている。どんなに美味しそうなオレンジでも、皮を剥いて食べてみないとわからない。つまり表面だけでなく内面にも注目しることが大事だ、と。また、表面と内実の関係がひっくり返った態度をとる、ドグベリーとヴァージズを登場させ、

イプシロン
2024/04/21 09:36

笑いのなかで、見物人に「表面と内実のこと」を意識させる秀逸さは、さすがはシェイクスピアだと唸ってしまった。2作とも、色々と批判のある作品だが、ネガティブな目線ではなく、ポジティブな教訓を引き出す解釈をすることをお勧めしたい。

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イプシロン
理想と現実の乖離に悩み、目に映るものすべてを見下して批難し、ときに誹謗中傷してしまう心理は、多くの人がある時期に経験するものだ。かつまた、メタ認知力のある人なら、何にでも怒りを吐き散らしている自分に自己嫌悪をおぼえ、抜け出しようのない怒りの無間地獄に陥っていると察知する場合もある。そして、そこから脱しようともがくことで、目の前の現実を変えるのではなく、自分のものの見方を変えるべきではと考え、宗教や哲学に目を向ける人もいる。しかし、宗教や哲学を探求することはまた、宗教や哲学がもつ矛盾(教義と実態の違い=
イプシロン
2024/04/19 20:05

さて、こういう解体新書のような感想をサリンジャーが見たらなんというだろうか? 多分、彼からしたら一番やめてほしい行為だろう。それは解っているのだが、あくまで参考という意味で書いたつもりだ。小説の解釈など、個々人それぞれでいいと私も思っているからだ。ということで(言い訳がましいが)これは私の個人的見解であり感想であることを断っておきたい。

イプシロン
2024/04/19 20:38

余談の余談だが、「フラニー編」でレーンが食べる蛙はキリスト教的には「死・吝嗇(ストイシズム)」であり、民間信仰だと「魂(生と豪奢=スノビズム)」の暗喩であり、カタツムリは「忍耐力」であり、フラニーが食べたオリーブはキリスト教的あるいは古代ギリシャ的に「神聖・平和・美・長寿・栄光」、「ズーイ編」で塗りつぶされる「O」は輪廻の否定と肯定かなんかの暗喩であろう(もちろん、個人的な見解にすぎない)。

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イプシロン
リルケが切り開き、到達した精神的境地の高さがはっきりわかる手紙。ふつう詩人というものは、自分の作品の説明をしない。そうした態度は、詩に限らず芸術を志す者にとっては至極当然のことである。しかし、質問されれば惜しむことなく懇切丁寧に答えもするし説明もする。私はこのリルケの人間性をとても尊敬する。しかも、彼の言葉には謙譲の美がある。世に稀な人格者だと感動を禁じ得ない。人間は川の中洲である。物質的なものを体内にとりこむのが「生」なら、取り込んだそれらを非物質的な存在に変換しつづけているのが「死」である。
イプシロン
2024/04/18 17:59

は永遠的である。そう思えれば、輪廻転生は何も恐ろしいことではないと確信できるのではないだろうか。リルケ曰く――「我々の全存在、我々の魂の飛翔と墜落、それらすべてのものが、我々をしてかかる使命に適せしめてゐるのであります。(それを措いては、我々には他のいかなる使命もありません)」。人類全体で思索され見出された真実や真理が、見えざる存在として一つの神をつくっている。つまり、これまで人類が積み重ねてきた全集合知が神の智慧であり、個々人が持つ顕在的集合知や集合的無意識が「神の家」であるのだ、と。

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イプシロン
たぶん3回めの読了。本著を手に入れたのは25歳くらいのこと。当時、シュワイツァーのことは辺境医療の先駆者くらいの知識しかなかったが、読んでたいへん感動した記憶が鮮明である。それからというもの、彼以上に尊敬できる人に出会ったことはない。だから私のなかでは「生命の畏敬(Ehrfurcht vor dem Leben)」という語句と概念が忘れられたことはない。ここでその概念を詳らかには語らないが、これ以上に優れた思想を私は知らない。今回の再々読でその確信が一層強まった。宗教、哲学、自然科学、医学、音楽という
加納恭史
2024/04/24 19:38

「生命の畏敬」について、「沈黙の春」著者レイチェル・カーソンが重く受け止めており、彼女は「自然への畏敬」の念として賛同されています。まあ、参考までに。

イプシロン
2024/04/24 20:20

加納恭史さん、コメントありがとうございます。『沈黙の春』『センス・オブ・ワンダー』は既読なので彼女のいう「自然への畏敬」は解る気はします。生命の現れ(痕跡であり、生命自体を捉えることは決してできない)=自然と捉えるなら、必然的に至る思想かとは思います。とはいえ、近代以降の人類は自然を生命として見るのでなく、人間にとって都合のいい物として利用してきたのではないかと。その点はキリスト教の影響が強いのかと。人間にとって都合のいい自然=Natureとするなら、真の自然=wildであり「畏怖」だと思うんですがね。

が「ナイス!」と言っています。
イプシロン
さすがは堀辰雄。象徴主義を的確に指摘している。『風立ちぬ』の著者だけある。われわれは死の入口に立つことはできるが、死そのものを知ることはできない。それを反転させ、われわれは生の入口に立つことはできても、生そのものを知ることはできない。そういうことをシンボリックに描く(決して描けないことを描こうとする)。そこに象徴主義の魅力を改めて感じる。描けることを描いて何が芸術なのだ? と思う。死を見つめ、生をありのままに知れないと知ることが、生に最も近づくことであると。象徴派詩人ヴァレリーの『海辺の墓地』の一部を
イプシロン
2024/04/16 17:21

「いざ、生きめやも」と訳しただけのことはある。そうだ、われわれは生の入口に立ったとき、はじめて生がはじまるのだ。なかなか気づけないことだろうが。マルテの父が死んだあと、心臓に針を刺して死んだかどうか確認してくれと遺言した場面の奥深さを思うとき、言葉では言い尽くせない、生と死の曖昧さを感じたりもした。そんな簡単に生と死にくっきりした線など引けないのだ、と。阿呆な私は、それってエンバーミング(腐敗防止)? とか思ったりもしたのだが(笑)

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イプシロン
村落共同体という時間空間的につながった「生」。その「生」が失われてゆく近代は「死」の時代といえる。近代は、人々に不安と恐怖、そして孤独をもたらす「死」の宿痾であった。マルテはその「死」と向きあう。それはまた自己自身と向き合うことであり、幼年期の思い出に還る道でもあり、神なき神を求めることだった。近代における都市化がもたらした損失に自覚的な人が読むなら、深く心に刺さる「手記」。しかし、詩人が書いたお洒落な小説を求めて読むなら、手酷い目に遭うだろう。それぐらい、深く難解な内的自省が、『マルテの手記』である。
イプシロン
2024/04/16 14:36

キリスト教に対する解釈も白紙にして読まなければならなかったり、読解への敷居の高さがある。とはいえ、解らなくとも何となく読むことで感じる寂寥感とそこから脱却しようともがくマルテを感じてみようと思うなら、読んでみる価値はあるだろう。第二部にある「貴婦人と一角獣」のことが語られる場面、そして、母とレース編みについて語る部分は、それだけで十分美しいと思えるからだ。世界と自己を見つめる方法には、大きく分けて2つ(情緒的探求と理性的探求が)あると思うが、それは結局のところ、同じ道であると思えたのが何よりの収穫だった。

イプシロン
2024/04/16 14:40

かつて芸術は世界(自然)と繋がっていた。古代ローマ時代の円形劇場の壁のうえにはつねに青空があった。しかし近代化は天井という人工物で自然を遮った。こうしたマルテの視点に感動するなら、芸術のなんたるかと、理性的(≒哲学的)生き方のなんたるかには、大きな相違はないとも思えたのである。

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イプシロン
本著における最大の功績はと問うなら、当時はまだ定義化されていなかった政治の目的と手段を的確に提示した部分にあるだろう。政治とは、共同体の秩序を維持し、なるべく平等な分配をほどこし、かつ各人が人間としての能力を最大限に発揮できる機会を作り出す共同作業である、と。しかし、当時はこうしたことが提示されていなかった時代だけに、ゴルギアス、ポロス、カリクレスの言う「権力主義」「実利主義」「快楽主義」が政治の目的と考えられ、それらの主義を擁護するために「弁論術」が大いにもてはやされていた時代背景があったと言える。
イプシロン
2024/04/10 20:30

みんなで押したことによって、アクシズ落としは阻止されたのだから。で、あのシーンは受精卵に群がる精子の映像化でもあるわけだ。つまり、一人がニュータイプに目覚めるのではなく、人類全体の卵子にニュータイプへと覚醒する精子たちが受精されるとき、本当に人の革新は起こるという暗示なわけだ。でも、そんなことは起きない(ふつう受精される精子は一つだけ)。だから、富野氏とプラトンが、たった一人でも正しい思想や哲学を持つ人を増やしたいと考えた思いは理解できる気がするのだ。

イプシロン
2024/04/10 20:39

プラトン「ふざけるな。たかが弁論術一つ、哲学で押し出してやる!」 とはいえ、プラトンも弁論術が全く役に立たないとも言っていない。使い方を弁えていれば利益をもたらすとは言っているが、プラトンからすればそれは「弁証術」という呼び名なるものだろう。

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イプシロン
本著を読むなら、少なくとも「(フッサール)現象学」について概略を知っていることが前提と言える。本文では現象学用語の使用が避けられ、哲学領域では比較的一般化された用語が使われているが、現象学を知っている人からすると、かえってそのせいで理解しにくい部分があるとも言える。ともあれ、「何となく」という気持ちで読解できる著作ではないとは言える。第一部、第二部においては、現象学への道を阻害した要因をいくつか挙げている。ガリレイによって進められた極端な「理念化」。デカルト起源の「心身二元論への道」また、自我があることを
イプシロン
2024/04/07 22:35

文明を築かせ、ある程度の普遍性をもった思想や、秩序をもつ倫理などを築かせる根源であると言っているんですがね。さらに言えば、同じでないものを常に同じに見ようとする志向性があるから、人間の理性は様々なことを成し遂げられたとも言っているのです。が、そうした同一性を確保するような志向性については、今はほとんど研究されていなかったりします。ただまあ、我々の理性にも限界があって、「なぜ?」と問うても「なぜなら」と答えられず、「どのようにして?」と問うなら、なんとか答えらしきものに到達できる面もあったりするわけです。

イプシロン
2024/04/07 22:44

余談ですが「数を数える」という一見単純なことが、正確かつ厳密に出来るようになっていったのが、文明の進歩につながっていると気づくなら、時間空間的に「測量」するという人間の意識や理性が、いかに重要な働きをしているかは理解できるのではないかと。もっとも、測れない存在や認識、ひいては生命という問題になると、人間の理性がいかに役立たないかは、現在行われている戦争を見ても明らかなのではないかと。そう考えるなら、数えられないと思っているものを、どう測っていくかが人間の理性に課された課題ではないかと思えるわけです。

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2013/04/23(4027日経過)
記録初日
2010/01/08(5228日経過)
読んだ本
1356冊(1日平均0.26冊)
読んだページ
388566ページ(1日平均74ページ)
感想・レビュー
1073件(投稿率79.1%)
本棚
85棚
性別
血液型
A型
現住所
東京都
URL/ブログ
http://blog.livedoor.jp/ipsilon/
自己紹介

読書しながら、小説を書いたりしていました。
(現在は執筆凍結中です)
長短編で50作品を書きました。
拙作なので服用には十分の注意が必要です。

基本、感想は長文で辛口批評だったりします。
感想はあくまでも『個人的主観』によるものです。

基本、こちらからのお気に入り登録は今のところ致しておりません。
管理能力の限界を超えないためです。
もちろん登録くださった方は登録させて頂きます。
無論、解除も遠慮なくして頂いて結構です。
責任をともなった自由をもとにして、気持ちのよい交流ができればと思っています。
交流のほとんどない方、活動を停止されていると思われる方、感想・レビューよりも「つぶやき」をメインにされている方は、お気に入りから削除させて頂く場合があります。

お気に入りでなくとも、いいな! と思った感想・レビューには遠慮なくナイスさせて頂いています。
同様に、遠慮なくコメントする場合もありますが、温かい目で見守ってください。
また、お気に入りの方であっても、普段コメントでのやり取りがあったり、本当にいいと思ったものにしか、ナイスはしません。義理ナイスに疲れ果てたので。

基本、哲学馬鹿で自分なりの哲学を持っているので、『哲学的視点』に立ってものをいいます。
とくに宗教に関して嫌悪感のある方は、ご注意ください。
苦手な方は自己防衛をしてください。

よろしくお願いいたします。

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