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2024年5月の読書メーターまとめ

takeakisky
読んだ本
55
読んだページ
15013ページ
感想・レビュー
55
ナイス
91ナイス

2024年5月に読んだ本
55

2024年5月のお気に入られ登録
1

  • プロメテ

2024年5月にナイスが最も多かった感想・レビュー

takeakisky
オーギーを読むついでにとひっぱり出したが、結局全部読んでしまう。研究社しぐさの英語表現辞典ね。恐ろしいことに、オースターはシバタ訳が、カーヴァーはムラカミ訳が、それぞれしっくりくる。思い込みか刷り込みの世界だと思うけれど。まあ「女」なのか「女性」なのかで、それ以降のテキストの空気が変わってくることを目の当たりにすると、ことばの持つ力や、文章の持つ声の繊細な違いだったりに唸る。今や、よっぽど気持ちが乗らないと英語で本を読むことがないので、この本に登場する面々には頭が下がりっぱなしだ。
が「ナイス!」と言っています。

2024年5月の感想・レビュー一覧
55

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ジェイミーの真っ直ぐなヴァイタリティが心地よい。矯めず曲がらず。善良に軽々と目の前を生きる。彼女と夕陽の落とし子ティーケイク。なんといきいきとした人物だろう。彼らの考え方や生き方には屈託がない。屈託によって深みが生じると見る向きには分からない官能が感情が齎す衝撃がある。まあ、こむづかしいことを考えずともいい。この本がとても好きになった。タイム誌のオールタイム100。入手しづらいけれど、探す価値あり。
が「ナイス!」と言っています。
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一章で懇々と説かれたフランドル気質。ふうんと読んでいたらその精華なのか、バルザックのみるフランドル人そのもののバルタザール。あとは悲劇の結末までまっしぐら、かと言うとそこは意地の悪いバルザック。幾つかの曲がり角が巧みに設えられ、それを折れるたびにまた転落が。惹きつけ、焦らし、興奮し、させられ。と、同じコインの別の面、マルグリットへ。同じ気質の向かった焦点の違い。実に美しい6章、一族の救出劇。そして、そこでは終わらせないバルザック。下世話な期待。ところが、ある意味これ以上ない幸せのうちに幕をおろす。美しい。
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見つからないので新たに購入。ニンゲンマメ。human bean。直訳だけれど味わい深い。言葉遊びがたくさん散りばめられているけれど、それだけに原文を読むのは面倒。I is 、You is とか綴りの入れ違いとか。extremely icky-poo。いい翻訳はとっても嬉しい。そして、クエンティン・ブレイクの挿絵も、多分全部入っており素晴らしい。
takeakisky
邦題は奇妙だが、原題は地下の男。跡を継ぐ子供を持たない公爵の日記を軸に構成される。老い、病と折り合いをつけているようで、溢れる探究心がそれを許さない。ほとんど全方位的な好奇心とおそらく結婚せず比較的自分の好きに人生を重ねてきたことから、目線が若々しく少し可愛らしい日々の思いが綴られる。眼差しは慈愛とである。歳と立場から周囲はそう見ていないギャップがそこはかとなくおかしい。その情熱は変人ととられる。当然、仕方ない。公爵のリズムは独特で、頁数以上に本は長い。ちょっと調子が狂う。読み終えると、こよなくさびしい。
takeakisky
得意じゃない書簡体小説。「ジュリさん」という字に一冊かけて慣れる道行だった気もする。あらゆるソフィストの中でわたしたちを欺くことの最も少ないものはまず大体わたしたち自身の理性だということ。ところどころ、どきっとするような一言が混じるが、いかんせん長い。第一部では、決闘を思い止ませる書簡57が読みどころか。一途なサンプルーに対し、どこかコケットで余裕のあるジュリのヴェールが破れ、本心が吐露される。幾つか二人の関係を変えるシーンはあったが、この出来事が一番の転機になる。大きな一石を投じる外国人エドワード卿。
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面白さの予感をむんむんと漂わせながら全篇悉く外すナンセンスぶり。短く数の多い章。スターンの名前があがるが、トリストラム・シャンディほどの非小説でもない。でも、強く意識はしたのだろう。あっちが生まれる前からなら、こっちは死んだ後からだと。向こうが生きる悦びを屈折した形で提示したなら、私は底抜けの明るさで覆われたペシミズムだと。18世紀っぽさを纏った19世紀的人物の小説。字が大きいフォーマットが好きでなく、読むのに骨を折ったが、なかなか旨みのある本でした。できれば、先行する翻訳で読みたかったが、値段に敗けた。
takeakisky
新奇なものの素晴らしさは、旧来のもののそれ以上でも以下でもない。いいものもあれば、わるいものもある。大抵は詰まらないものなのは変わらないところ。自分の生き方を振り返りがちな歳の親と振り返ることなど考えもよらない青年。これがお互い少しでも歳が違っていれば起こらない、この一点だけに生じる事。対する小気味の良いアンナの経験と情熱のバランス。そんな彼女が突き詰めて見出した醜悪。それを見せるツルゲーネフの冷徹。短い間にどんどん成長する二人。等々等々等々。この長さにこれだけのものを書き込んだ驚き。凄い。本当に上手い。
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久しぶりに短篇小説。うっとりするラインナップ。ネームバリューだけでなく中身も粒揃い。ひりひりするものからほわほわするものまで。読んだことがあるのは、おそらくカポーティのミリアムだけ。フランク・オコーナー教会情報、ジョージ・ガレット或る夜の見世物、ジョージ・パネッタ我が家の経済あたりが収穫。ジョイス・キャロル・オーツ、ポール・ボウルズは、さすが。そんな中でもカポーティは段違い。
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アメリカ南部、ミドルエイジクライシス真っ只中の中年男性四人のカヌーでの川下り。鹿。プラスティック、羽毛。何処へ流れていくかと思えばヒルビリーとの対決。不気味、かつ痛い描写。合間合間のホワイトウォーター。訳者あとがきには、なるほどとうなづく。映画ではバート・レイノルズだったそうだが、私のイメージはピーター・フォンダだった。都市のインテリと田舎の気味の悪さにイージー・ライダーや悪魔の追跡なんかをなんとなく連想する。川下りという語から想像される清涼感と出会うことを期待してはいけない読書だった。
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マン・オン・ワイヤーを読んだのでついでに。昔、何度も子供に読んだことを思い出す。かなり実際に忠実な絵。ツインタワーを渡るプティは、Vネック。
takeakisky
空腹の技法から。on the high wireは日本語がないので、こちら。面白いのは分かっていたけれど、ずっと積んであったのを引っ張り出す。わくわくする高揚感。と同時に腑の底まで冷え、締め付けられる恐怖と焦燥感。息を詰めて読み進む。ワイアの上に至り、緊張の弛緩、開放感。風、鳥。圧倒される美しさに震える。
takeakisky
たくさんの条件のなかから、今の自分に一番都合のよいものだけを選び、そのほかは、それがどんなに重要なファクターでも知らんぷりする。反面、自分以外の人のことは、正確無比な観察と分析。そして結構冷たく厳しい。グイードが抜け目のない愚か者なら、抜け目しかない賢人ゼーノ。嬉々として語られるグイードの人生。治療からの自然な乖離。終章、時が現在に移り、一体なんの治療をしていたのかは判然としないまま、ゼーノの健在ぶりに目を細める。誠によい読書だった。
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読んだのは、月刊ペン社の妖精文庫。中学校のころ本を集めるきっかけになった叢書。当時、すでに月刊ペン社はなかった。さて、子供のような想像力を大人の知性がかっちり固め、素敵なアリスとエキセントリックなカルメラが滑るようにストーリーを回す。二人の友誼にほろりとさせられる。数々のシュールで幸せなイメージを堪能する。メキシコに暮らすイギリス人が母国語で綴った原稿をフランス人が翻訳し、それを日本語へ重訳。この過程が汎世界的な雰囲気の後押しをしているかもしれない。フランスで刊行されてすぐ翻訳を出しているこの慧眼に敬服。
が「ナイス!」と言っています。
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ブルックリン・フォリーズでネイサンが読んでいたので。正直で赤裸々。だが。どこまで本気でどこから冗談だか判然としない。大真面目なのか馬鹿にされているのか。拗らせじじいの回想録。無駄に面白い。とにかく本気を出したらすごいけれど、本気を出す状況が来ない。無気力、仕方ない。うーん。清々しいほどだめなやつ。オブローモフより都会的でカフカほどはずれていない。ちまちました屈託しかないゼーノ。
が「ナイス!」と言っています。
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オスたちの儀式といった態のモリーの葬儀で上がる幕。もう少しで下世話に堕ちる絶妙のバランス。初めの一、二章で、これは素晴らしいと分かる。あとは終いまでこの調子で連れて行ってもらえるだろうか、ということだけが心配事になる。発表の頃だったら鼻についただろう部分も20年の年月が洗い流し、これ以上ない経年変化を遂げている。敢えて物足りない点を挙げるならば、クライヴの交響曲が彼から評されるごとく、変形が致命的に欠けていることくらい。物語の中に、異質さが乏しい。それにしても吸い付けられるように読んだ。98年のブッカー。
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ブヴァールとペキュシェを読み、続けて。ブヴァールとペキュシェが筆写することになっただろう辞書。気取りが衒いもなく並び、博学を極めた二人がこれを筆写しているかと思うと一抹哀愁が漂う。と思っていたらほうれん草で吹いた。モーパッサンによるブヴァールとペキュシェの書評の翻訳。 http://maupassant.info/chronique/chro06avr1881.html
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静かな信仰の追求、もちろん、それも長くは続かない。懐疑。教育。周囲との不和。俗物だし、そこはかとなくスノッブだったとしても、馬鹿にしたり、ことさら貶めたりせず、ニュートラルな、少しあたたかめな記述に終始する。やりすぎのところだって温い眼差しだ。このスタイルが気持ちを惹きつけるわけで、構想や粗筋が提示されたとて、未完の残念さは埋まらないのである。だらだらと永遠に読んでいたいと言ったら言い過ぎだが、もっと付き合いたい一篇。とはいえ完結していたらもう何段か上の作になったろうか、とも思う。なかなか悩ましい読書。
が「ナイス!」と言っています。
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人生のその時期でないと説明のつかないことの数々。どうしようもないじりじりとした焦燥。言葉になるより速く変わっていく頭の中。正しいと思っていることと背叛する行動、その結果生まれる苛立ち。こんなはずじゃない。かといって自立できるほどの力も覚悟もなく。そんな中で見つけた真実らしきもの。そんな事どもが台詞主体のスタイルで突きつけられる。テーマと文体が手を取り合って素晴らしい効果をあげている。あの車(年式は違うけれど)に乗っていたことがあるので特別な本。
が「ナイス!」と言っています。
takeakisky
思いの外愉しむ。出版社が新幹線のあれのやつだし、タイトルも日和ってる感じだし、重訳だし。とても質のいいコメディだった。作中人物のラールマンス氏は、ちょうど同年代。実務の能力は高くないのだろう。ビジネスの世界にはフィットしていない。断れない質。でも自分なりの倫理観はある。流されるけれど。これだけ行動が不合理だと、なかなか嫌うのは難しい。一周回って何事もなかったかのようなストーリー。世の中まだ捨てたもんじゃないな、という気分になる。
が「ナイス!」と言っています。
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とうとう来るべくして来た倦怠、気鬱。有り余る自由と時間。訪れる戀。期待の高まる私の気持ちをあっさりと折るあっという間の終焉。文学、芝居、すっと詩はとばして、政治、体育、テーブル回しからの磁気療法?から悪魔崇拝、哲学、そして自殺、最後は信仰。彼らの好奇心のフィールドは無限に見える。最終分冊へ。
が「ナイス!」と言っています。
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いわゆる経済的自立と早期退職。溢れる時間と好奇心を自由奔放に発揮する二人。まったく何を読まされているのだか。恐れを知らぬ半可通。縦横にその狩場を変え振り返らない。植物、医術、地質学、古生物、骨董、歴史。滑るようにその舞台を変える。ちょっとづつブヴァールとペキュシェの性格の違いが見えるたび微笑ましく思う。飽きの来ないぎりぎりの分量。面白いと退屈のマイルドで絶妙な混淆。大丈夫か、お金、と少し気になりながら、二分冊目へ。
が「ナイス!」と言っています。
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二つの海戦は、手に汗握る。ジブラルタルの状況は少し分かりにくい。キャラクター小説としては三者三様のベクトルが邪魔するので、二人に絞るのは展開上はすっきりするものの、それはそれで活かしきれたかっていうとどうにも。まあ、あまり愉しめなかったということなのかな。これから面白くなるのかもしれないけれど。うん。船ならフォレスターの方が好き。
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こういっちゃあなんだがジャックがあまり好きになれない。何故か地獄のミサワ的ビジュアルが思い浮かぶ。体格だろうか。台詞だろうか。どうもうまくない。若いマスターアンドコマンダーとはいえ大分上滑り感がある。反面、描写は筆が足りず、しばしば戸惑いどういうことだか理解するのに数秒を要する。どうも読者を操ろうという魂胆が過ぎるように思えて仕方ない。後半はどうだろう。エスクワイアの80冊。
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どうしたオースター。似非ポストモダンの、できの悪い二次創作じゃないか。それも自作の。と初読時、忌避感を持った。この後出た本は適当な時期に図書館で借りることになる。私の中で鬼門の一冊。恐るおそる久方ぶりのページを展く。徹底的に作中人物を客体化しているところ(1ミリも共感しない)が目新しくはあるが、やっぱりもやもやして仕方がない。それでも、こうなっても、ストーリーを作り出すところは、じんとくる。訃報からの回顧は一旦ここまで。残りは4321とバウムガルトナーが日本語になったときに。
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The Ragged Trousered Philanthropists(=労働者)の全訳。本文581ページ。架空の町マグズボロー(とんまの里)の内装業の職人たち。その貧困。トレッセルは厳しい。暖かく、ときにはユーモアを交えて人間は描くが、社会問題に対し、安易な解答は出さない。大きすぎ、当たり前の前提になっているものに対し、戦うことの難しさ。どんどん読むのが難儀になる。社会全般がマイルドな現代で全く同様に感じることは困難だが、資本主義が洗練の極みにある今、巧妙さの裏側にあるものを意識する意味は小さくない。
takeakisky
2024/05/18 15:27

NDLオンラインで読む。

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空腹の芸術を読み、そういえば手元にあったとハムスンの飢えだけ読む。上がったり下がったり忙しい。話し続け、アイディアが次々と湧き出し、衝動的な行動。人の反応は見ているようであるが、その反応には耳を貸さない。見えているようで見えていない。躁状態。言ってみれば正気の者の繰り広げる気狂いの行動。糸の切れた凧。ただし、充分に意識された。苦しく、また恥ずかしい。我が身のこういった頃を思い出して、見ていられない。空腹の芸術、詩人の読みは深く、自分だけでは到達できない読みの可能性を見せてもらった。先達はあらまほしき事と。
が「ナイス!」と言っています。
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インターミッション。小説は、一休み。大半を占めるハンド・トゥ・マウス。初読時には知らなかった人々も今は知っていたり、それでもやっぱり知らなかったり。手元のフェイバーアンドフェイバーのペイパーバックにはここに出てくる戯曲3本とアクションベースボールの完全版(カラーだ)とポール・ベンジャミンのスクイーズ・プレイという豪華付録が3つついて大変楽しい一冊だった。が、今回は読まない。小説のなかに使われたエピソードも登場人物を思い浮かべたくなるような人の何人かも登場し、興味深い。
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ここまで読み返してきたが、この本、何にも覚えがない。二冊あるから確実に読んでいる筈だけれど。さて。痩せても枯れても色気を失わないトム。この頃老いてますます大活躍だったイーストウッドを、何となく思い浮かべる。政治的には、あれだし、ブルックリンも合わないけれど。愛すべきストーリーではあるが、深みはどうだっただろう。ベクトルの違う色々なことをもりこみすぎ、終盤はうまくまとめたという感が残る、残念ながら少し物足りない。
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苛々したら負け、と言い聞かせながら取り掛かる。頻繁にリズムを裁ち切られる本という覚えがある。この本を書いている世界(傍注)、語られる一番外の世界(オア)とその夢・想像・伝聞、その中の世界(ニック)、そしてその中の世界(オラクル・ナイト)。虚構と現実の痛みを伴う鎔解。捨てられたストーリーたち。厳しい現実との前向きな和解。テキストに書かれたことだけを愉しみたいとは思うが、人間オースターにとっても、この時期の創作がそうだったのかもしれないと、執拗に自分のダブルのような人物を登場させていることに触れて、考える。
が「ナイス!」と言っています。
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決して前二作に不満があるわけではないが、久しぶりに本気のオースター!という初読時の感慨。より、声が深く、豊かになった感。圧倒的。ヘクターが虚構の人物だということにうまく納得がいかなかった。待っただけある日本語、と。さて。これ以上ないくらいグロテスクで、言葉もないくらい愛おしい第一章。無駄なセンテンス一つここにはない。主人公は、あのジンマー。ここから後半までがっちり連れて行かれる。一転、終盤は、どう捉え、どう読むか、その読み様は読み手に委ねられる。単純でない。カメラ的映画的視点から現実の不確かさへの移行。
が「ナイス!」と言っています。
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今はなんだかペットロスばかりが取り沙汰されるが、人は生きていけばいいし、その能力も大抵ある。アメリカの愛すべきゴミみたいな大量生産商品をすかして見るウィリーとミスター・ボーンズの世界。素晴らしい人と素晴らしい人の組み合わせは、そうはないという現実。いろいろな読みを可能にするミスター・ボーンズの現実認識と幻影。そのなかから自分の好きなヴァージョンの解釈を選んで自分を救うような読書。真実は読む人の数だけある。いよいよ、次は幻影の書。これは、凄い本。
が「ナイス!」と言っています。
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三部作の掉尾。とてもバランスの取れた構成で感心する。捕虜として拘禁されているフランスからの脱出劇。川下り。海は、ほとんど出てこない。その分、ホレイショの適度に複雑で二律背反の自己卑下と自信がかわりばんこに去来する心情、たった二人になってしまった部下との交流と距離感など人間に焦点があたる。帰国後の厭世的ともとれる観察、感慨の数々。それを吹き飛ばすような我が子との出会い。それでも顔を出さずにはおかない憂い。38年のジェイムズ・テイト・ブラック記念賞。
が「ナイス!」と言っています。
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再読。映画も観ている。映画というフォーマットには映画の言語が必要で、残念だけれどオースターには、それが足りなかったというのが、ぼんやりとした記憶。大体、観た頃はルルなんて知らなかったし。意外なことに、テキストではすんなり入ってくるのに、論理を超えたものを映像から納得するのは難しい。青い石。サックスを吹くハーヴェイ・カイテル。また、限られた時間と流れる映像の中で読み取ることには限度がある。私のそれを大分越していた。それでも、今読んでラストシーンを映像で思い出した。じんとくる。そして少し腹立たしく思ったことを
が「ナイス!」と言っています。
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ルル・オン・ザ・ブリッジの予習というのか復習?確か持ってたなと。こんなきっかけでもないと読まない。びっくりする。ばんばん登場人物が死んでいく。そして誰もルルをそのままのルルとして見ない気持ちの悪さ。理解されようとされまいと関係なく流れていくような台詞。理解の埒を軽くはみ出す魂のない女。悖徳。続くパンドラの箱に至っては、各人の身勝手さの方向は四方八方へ向き、伯爵令嬢ゲシュヴィッツだけがルルに犠牲的愛情を見せる。見てられない。でも。密度濃く、首根っこを引っ掴まれて逃げられなくなる戯曲。放心。
が「ナイス!」と言っています。
takeakisky
逆もまた真だってこと。楽しかった日々を忘れるな、と。再読だが、後半はほとんど記憶に残っておらず、自分の記憶装置に愕然。ローラーコースターのようにまっしぐらに猛スピードで上ったり下ったりツイストし、静かな終着点へ。茫然とするが、また乗ってみたくなる、そんな本だ。
takeakisky
大昔読んだことがある。なかなかこういったもので再読に耐えうるものは多くない。
が「ナイス!」と言っています。
takeakisky
映画ってのは、本とはまた違ったいいところがいっぱいあるよね。両方とも観ているけれど、今見返すならブルー・イン・ザ・フェイス。ルー・リードにジョン・ルーリー、そしてなんといってもジャームッシュ。読むだけで記憶がよみがえるスクリーンプレイ。とても愉しく、とても切ない。
が「ナイス!」と言っています。
takeakisky
オーギーを読むついでにとひっぱり出したが、結局全部読んでしまう。研究社しぐさの英語表現辞典ね。恐ろしいことに、オースターはシバタ訳が、カーヴァーはムラカミ訳が、それぞれしっくりくる。思い込みか刷り込みの世界だと思うけれど。まあ「女」なのか「女性」なのかで、それ以降のテキストの空気が変わってくることを目の当たりにすると、ことばの持つ力や、文章の持つ声の繊細な違いだったりに唸る。今や、よっぽど気持ちが乗らないと英語で本を読むことがないので、この本に登場する面々には頭が下がりっぱなしだ。
が「ナイス!」と言っています。
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ここから急に本が綺麗になる。中性紙万歳。多分この本は二度目。25年ぶりか。古き良き小説という形式から2つの死を通過してコンセプチュアルアートへ自己投影の形を変えるベン。その萌芽は自作の映画化への情熱により仄めかされはするが、描かれる彼から受ける印象は非常にバランスのとれた人物であり、生命をかけた行動は理解の外にある。何処まで行っても見えざる他者。突拍子もない小説的偶然をどんどん繰り出してくるところを除くと、そのポストモダン的だったところが影を潜め、よりスムースに、「文学的」になった印象。そして一番の傑作。
が「ナイス!」と言っています。
takeakisky
この本は映画を先に見た。マンディ・パティンキン。相棒はジェイムズ・スペイダー。いい映画だった記憶がある。本の方は、庄司浅水みたいな奇妙な実話は影を潜め、骨太なスタイルで、でも構成にごつごつしたところがなく、極めて普通っぽい小説だなという第一印象。嬉しく思うと同時に寂しく思ったもの。久しぶりに読み返したが、印象は変わらない。ただ、ストーリーに悪と暴力が持ち込まれたことは、転機。次は、衝撃のリヴァイアサン。
が「ナイス!」と言っています。
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僕の知ってるオースターじゃない。でも、やっぱり、いい。と初めて読んだときには驚いた本。読んでいる回数は前の五冊より大分少ない。久しぶりに頁を開く。成熟した主人公がいろいろなものを失う過程、そこに現れる襞の数々、というのが初めの頃のオースターの醍醐味だとすれば、我がフォッグ君は未成熟で壊れやすく、その分決定的には損なわれず、再生という余地が大きい。ただ、冷たい目で見れば、マーコによる父殺し祖父殺しとも読める。青春小説としたら奇妙な話だ。赤いポンティアックに再会するべく次に進もう。
が「ナイス!」と言っています。
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新しいアメリカの小説だと、つい他の本も読みたくなってしまうので、買ったきり開いたことがなかったこちらで読む。もう少しオースターを続けたいので。ファンショーの赤いノートブック。それにたいして書かれた印象の、この本は到達点であり完成形。
が「ナイス!」と言っています。
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ブラウン、ブルー、ホワイト、ブラック、グレイ、ヴァイオレット。匿名性とともに、連想を誘う人工的な名前の人々。合間に挟まれる現実のエピソードが鮮やかな印象を残す。開いてまず驚く組版。本が要求している通りの精神でそれを読むということ。初めてオースターを読んだのは、この本。こんなもの初めて読んだと、たまげた。それ以来何度も読んだり、読まなかったりしたが、なにも考えていないときに、ふとこの本のエピソードが頭に甦ることはたびたびある。振り返ると、この本から青年期の読書が始まったと思う。私の中で画期的存在の本。
が「ナイス!」と言っています。
takeakisky
今まで再三読んできたこの本。テキストの外のことをたくさん知ってしまっているので、オースターの”あったかもしれない未来”として見えてしまう様々なこと。あまりに何度も読んできたためか、分解することができない。始まりから終わりまで一つの一連の不可分の、そうしたものとしてしか認識できない。そして私はこの本がとても好きである。でも先へ進もう。次は幽霊たち。その本でオースターを初めて知った。89年。
が「ナイス!」と言っています。
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父との別れ。断絶と受容。このステップが親を亡くす前から始まっていること。自分の親世代のオースターと祖父世代にあたるその父。自分と重ね合わせて見てしまうことと異なること。文章も構成もあまり褒められたものでないが、そのまとまりの無さにオースターの喪失と心の混乱を身近に思う。二部。奇妙な偶然、ここでないといけない必然、でもその危うさ。落ち着いた思索と衝動。どうにもならないということ。かといってそれが悪とは限らないこと。何もできないときに救いになるもの。記憶。このテキストとの対話のような独り言は永遠に続けられる。
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オースターが亡くなったと知り、非常に衝撃を受ける。80から90年代、一番よく読んだ作家の一人。翻訳が遅くてMr.VertigoとTimbuktuはペイパーバックで読んだ。Timbuktu、英語で本読んで初めて涙が出た。そして、意外と読めるもんだなと思った。で、ひっぱり出したのは、これ。遠い声。ざらざらした肌触り。不確定性。外から聞こえるようで、中から聞こえるようでもある。世界との関わり方が度々切り替わる。そのたび、徐々に声は命を持ち、いきいきした共感が生まれる。アンナ・ブルーム、忘れ難い声。
takeakisky
サラリーマン艦長のダーティワークという感。パナマでの戦功によりフリゲート艦から戦列艦へ乗艦はステップアップ。昇進理由に自信が持てない。砲門数も乗員も倍。足らない乗員を集めるのは悪名高き強制徴募。指揮するのは戦列艦だが、ストーリーの大半は地中海沿岸の単独行動。拿捕、賞金稼ぎ。尊敬しづらい提督。それでもやっぱり面白い。上陸作戦、沿海哨戒。終いはまさかの。これと次作で38年のジェイムズ・テイト・ブラック記念賞。
が「ナイス!」と言っています。
takeakisky
第二部と三部収録の二分冊目。これもNDLオンライン。引き続きロンドン、次はハロゲイト、スカボロー、国境をうろうろしエディンバラへ。たっぷりスコットランド通信があり、イングランドへ戻る。一通ごとの分量が増し、興味が保てないものも幾通か混じり、少々飽きがくる。この辺り、筋を知ってしまったことも原因。南ブリテン人は日本についてと同じくらいスコットランドのことを知らないって、ほんとかね?ウィニズム、タビシズムは面白いが、原文だったら歯が立たない。翻訳があるというのは素晴らしい。終盤大忙しで大団円。楽しく読んだ。
takeakisky
NDLオンライン。ハンフリー・クリンカーに少し飽きてしまい、つまみ食い。The Adventures of Ferdinand, Count Fathomの抄訳というより、一部の章のあらすじからの創作。といっても独創性があるわけでもなく、安達ヶ原の鬼婆のような話に。最後だけ21章の終わりと一緒。原文を全部読むには長すぎるし、分からない言葉が多いので、全くのいんちきだけれど、読んだことにしちゃおう。
takeakisky
2024/05/05 18:55

と思ったが、ファゾム伯爵ファーディナントの冒険というタイトルで古典再生プロジェクトというところが翻訳していてkindleで読めるよう。そのうち気が向いたら読もう。

takeakisky
2024/05/05 19:18

完全な機械翻訳。unlimitedユーザー以外はダウンロードしてはいけないヤツだった。

takeakisky
まあなんと瑞々しくあまやかであたたかいことか。それでいて鮮やかで香りたかく爽やかで、気づくともしれないほんのわづかの苦味。並列しないような感覚が実に均整よく配され、まことに心地よい。間違っていても、愚かであっても美しいものは美しい。二部までは。ディケンズの登場人物のようなボブの存在が有難い。はらはらさせられる六部。読み手とマギーの距離が縮まる。予測のついた結末。ここまでが精一杯だったか。もう一篇は奇妙なスリラー。テレパス。びっくりする。
takeakisky
すっかり見かけることもなくなったユーラシアブックレット。カラマーゾフを読んだので、無理やり購入して読む。気になったところは、案外一緒よね、というある意味がっかり感と安堵感。そもそもイヴァンの三度目の訪問はあったのかしら。カラマーゾフの続篇が書かれた時間線にリープしたいもの。妹、もう一度読むかな。
が「ナイス!」と言っています。
takeakisky
遥か昔に読んだことがある気がうっすらする。今回は初めの三作を読もうと思う。ホーンブロアーの行動と内面のギャップが愉しい。目的のために一番良いと思われる行動は、彼の自然な心の動きとは反せずとも一致はしない。英国人を思い浮かべるときのステレオタイプどおりのところに人間らしさを感じるとともに、共感するあたりが大きな魅力で飽きさせない。女性に奥手なところもまたいいところなんだろう。面白くて、あっという間に読み了えてしまう。
takeakisky
どこまでが夢でどこからうつつか判然としないイヴァンの肉体と精神の彷徨。静か、かつ激越な対話。うってかわって騒々しく茶番劇のような裁判。それに似つかわしい幕間の評定。人物が掘り下げられることは絶え、徒に情景描写が続く。カラマーゾフ的なものを客観視した際に生じるその幼稚さと、つれて感じる物悲しさ。弁護側の弁論に若干心休まるものの、こちらのずれも相応だ。エピローグの戦い済んで日は暮れて的静けさに余韻を感じつつ、度々言及のアメリカ。海を隔てた遠い国にドストエフスキーは何を見て、自作の人物に何を見させているのか。
が「ナイス!」と言っています。
takeakisky
アレゴリカルに語られた挿話はリフレインのように、実際起こった事柄でなぞられる。ただし、今度は違う側から。大審問官からの物の見方に対し、ミーチャから見た誠実さの基準。定命の者だからこそ罪を罪と認識する。一本の葱。若きゾシマに告白された殺人とフョードルの殺害は、どんな変奏になるのであろうかと。そして、少年の群は、13年後のストーリーを彩ったことだろう。終わりが見えてくると書かれなかった次作へも想いが漂う。ピロークが食べたくなる。さて公判。
が「ナイス!」と言っています。
takeakisky
ゾシマ長老があっという間に腐る辺りまでは読んだ記憶がうっすらある。面白い。雑然として饒舌でテンポもリズムもあったものじゃない。自分がエモーショナルなころはロジカルなものを求め、論理が勝つようになると清濁併せ呑む已むに已まれぬ情念を求めるのか。ともあれ面白く読めるようになったことを素直に喜びたい。二分冊目は先が気になるおかしなところで終わるので、先を急ごう。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2009/12/10(5292日経過)
記録初日
2017/06/12(2551日経過)
読んだ本
2546冊(1日平均1.00冊)
読んだページ
836750ページ(1日平均328ページ)
感想・レビュー
1156件(投稿率45.4%)
本棚
20棚
性別
年齢
49歳
血液型
B型
現住所
埼玉県
自己紹介

自分でも面白くなってしまうくらい読んだそばから忘れてしまっているので、2021年から少し感想を書くことにした

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