ユダヤ人の受け入れ案としてパレスチナを提案したのがアメリカだった。当時のアメリカは移民の流入を制限しており自国の門戸を広げるつもりはなかったようだ。パレスチナを委任統治していたイギリスは油田を当てにしていることもあり中東との関係悪化を懸念して反対した。すると、すでに兵器を準備し軍隊を組織しようとしていたシオニスト組織が委任統治機関の建物を爆破。イギリスがパレスチナ問題から手を引くとアメリカ主導でパレスチナ分割案が国連で可決される……。 →
ユダヤ人に過酷な運命を押し付けてきた国々、解決を他所に求めるアメリカ、責任を放棄するイギリスなど、そしてシオニストが武力を用いながらパレスチナを我が物にしようとするといった構造は七十数年前からのもののようだ。本書はイスラエル建国までを扱う本文140ページほどの本だが現代への理解を深めてくれる。 2012年刊。
裁判の場面の前にアリョーシャ(カラマーゾフ兄弟の三男)と少年たちの交流の話を読んでいるので、言わば大人たちの対決が一層際立つのだ。そして精神を病むほど神の無限性に囚われるイワン(カラマーゾフ兄弟の二男)。 この小説の「父」とは誰なのか。フョードルという男が体現しているのは、生まれ変わるべきロシアではないのだろうか。良い悪いは別にして、「殺すべきもの」についての考察が本書なのかも知れない。答えは、ないのかも知れない。だから証人は証言を変えたのかも知れない。 では、「エピローグ」へ。
海に面しているので漁業を行おうとすると海底ガス田を我が物にするイスラエルの暴力により漁船を破壊される。「壁」の向こうからの食糧の調達もままならず栄養失調や感染症で早死にする。その上、逃げ場がない「封鎖」の中に爆弾が打ち込まれるということが、これまで何度もあった。 ユダヤ人の入植は20世紀初頭から始まっていたが、1947年国連で『パレスチナ分割案』が採択されるとユダヤ人によるパレスチナの民族浄化が始まる。「ナクバ」と呼ぶそうだ。 →
現在のガザの住人の75%はその時の難民やその子孫であり、未だにジェノサイドが続いている。昨今の報道を見ていてもイスラエルの目的はハマースの殲滅などではないことは明らかだと思う。 世界はいつまでこんな残虐を許しておくのだろうか。 早稲田大学の岡真理教授が行った2023年10月20日京都大学講義と10月23日早稲田大学講演をまとめたもの。先日、YOUTUBEで京大講義を視聴した。伝えたいこと知って欲しいことに溢れた岡教授の語りが本書を読んでいても聞こえてくるようだった。 2023年12月31日刊。
「百聞」は「A THOUSAND WORDS(1000語)」、つまり「一聞」は「10語の言葉を聞くこと」と捉えると、文化圏を越えて同じ意味合いではないかと思った。 『ピーナッツ』の子どもたちやスヌーピーは微笑ましいだけではなく学びも提供してくれる。
そして、ミーチャ。自ら運命を切り開いているのか運命に翻弄されているのか分からないがしかし、心を偽る事無く真っ直ぐに生きようとする姿自体が道化的でありカーニバル的になるのがミーチャである。自死を決意しながら大宴会に突入。地位も貧富の差も吹き飛ぶのがカーニバル。それぞれの人間が露わになる場である。なるほど、だからドストエフスキーは道化やカーニバルを描くのだろう。 カラマーゾフ家の人々がメインの小説だが、脇役と目される人物それぞれの心情も描出されていて奥深い。ミーチャが父殺しの容疑をかけられ、第四部へ。
イワンと長老は対極の考えのように見えるが、実は背中合わせなのであり、宗教の二面性を表しているのではないかと思った。 「悪魔的な傲慢さ」は自分の立場を守るため幼い者たちを何人でも殺している現代の為政者にも顕著だ。長老の考えを理想としながらイワンの考え方を是認したくなる行動をとるのが人間なのだろうか。 混沌とした問いを読者に突きつける第2部だが、それだけに、相思相愛のアリョーシャとリーズの会話の微笑ましさが、遠いところにあるのかも知れない希望のようなものを感じさせるのだった。 →
この四人四様の在りようを通して人間の本性が描かれるのだろう。欲望を満たすこと、お金を得ること、この世の本質というより本音を理解すること、そうであっても、何か崇高なものを人間は求めているということ……。 第一部の本書では、カラマーゾフ一家に加え、グルーシェ二カ、カテリーナ、リーズら女性たち、ゾシマ長老、そして、カラマーゾフ家の下男スメルジャコフなどが出そろう。 アリョーシャに「俗世での大きな修行」勧めるゾシマ長老が臨終に向かうところで第2部へ。
間もなくアントニウスに嫌気がさした軍団兵たちは自ら離脱していく…。 本巻も数々のエピソードに満ちており読んでいて楽しい。人種や国境を超えていたカエサルだが、本巻を読んでいると時をも越え自身の死後も見据えての国づくりをしていたに違いないとさえ思った。特に、オクタヴィアヌスは知力・判断力に優れているが軍事に劣ると見たカエサルはオクタヴィアヌス17歳のときに軍事に才あると見込んだ同年齢のアグリッパを配していたのは驚きだった。 次巻からは「パクス・ロマーナ」の時代である。
血で血を争うことの必要をなくすための改革であった。改革は、人種や階層や国境を越えるものだったが、それを実行できたのは、まさにカエサル自身があらゆる区別を越えた人間だったから。 そして、そういう体制では自分の支配欲が満たされない鬱勃とした人間が登場し、カエサルに、カエサルのような存在に、刃先を向けることになったのだろう。 暗殺はカエサル55歳8カ月のときだった。 (下)を読み始めているが、カエサルの志まで殺すことはできなかったようである。カエサルの物語は、まだまだ続く。
冒頭、アインシュタイン、エリオット、アドルノらの言葉が掲載されている。 も っとも心に迫ってきたのは『原子雲の下より』(青木文庫、1952年)に収められている坂本はつみさん(小学三年)の言葉、「げんしばくだんがおちると ひるがよるになって 人はおばけになる(げんしばくだん)」だった……。 原子爆弾を落とす奴こそ、化け物だ。 2007年刊。
≪2023年の読書の主なもの≫
◎小説以外から。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ『セカンドハンドの時代‐「赤い国」を生きた人びと』(松本妙子訳、岩波書店)。ソ連崩壊前後以後を生きた人びとの証言を20年の歳月を費やして集めた。「普通の人びと」がどれほどの苦難の中で生きてきたか、これほど胸に迫って伝わってくる本はあまりないと思う。
◎日本の小説から。村上龍をいくつか読んだけど、再読なので除外すると、あまり日本の小説を読まなかったが、吉村昭には手が伸びていた。『戦艦武蔵』(新潮文庫)を選んでおきたい。どこかで敗北を予感しながら、巨大な戦艦を日本は造った。戦艦が造られていく様子の詳細さは国の滅びも辞せぬ狂気が伝わってくるようだった。
◎海外小説から。ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』(上田真而子、佐藤真理子訳、岩波書店)。以前、映画を見たことがあり、それで満足していたのだが、私が見た映画は原作の前半を扱ったものだった。何歳になっても忘れてはならないことが後半で展開されていた。読んでよかった。
≪2022年の読書の主なもの≫
◎小説以外から。ゼ―バルト『空襲と文学』(鈴木
仁子訳、白水社)。第二次世界大戦でのイギリス
空軍による無差別絨毯爆撃。爆撃による人々の苦
しみの真実を伝える文学の意義。アメリカがいく
つもの戦争で行った無差別殺戮を検証する『戦争
の文化』(ジョン・W・ダワー、三浦陽一監訳他
、岩波書店)とともに大国の帝国的差別的攻撃を
考えさせられた。
◎日本の小説から。『世阿弥 最期の花』(藤沢周
、河出書房新社)。佐渡ヶ島に島流しされた世阿
弥。島の人々が彼と共にひとつの能の舞いを作り
上げる。世阿弥が天空に舞うかのような藤沢周の
描写の冴え。感動した。
◎海外小説から。翻訳本も原書も読んだ『クララと
お日さま』(土屋政雄訳、早川書房)& “KLARA
AND THE SUN” (faber)。観察したことから学
び考えるクララ。『恋するアダム』(イアン・マ
キューアン、松村潔訳、新潮社)
(原題:MACHINES LIKE ME)のアダムはイン
ターネットを通じてあらゆる情報から学ぶ。アダ
ムは限定生産のうちの一台。人間のあらゆること
を学ぶということは人間の矛盾も学ぶということ
なのだろう。矛盾に耐えられないからか生産され
たアンドロイドの半数ほどが自らシャット・ダウ
ンする。太陽をまっすぐな心で信じるクララと好
対照。AIロボットを生かすも殺すも、人間がど
う生きるのかにかかっているのかもしれない。
《2021年の読書の主なもの》
◎日本の小説は二人の作家を中心に読んだ。夏目漱
石の全小説再読、遠藤周作の所有本を再読。充実
の読書だった。
◎エミリー・ブロンテ『嵐が丘』がこのような作品
だとは想像していなかった。一気読み。シェイク
スピアの戯曲は永遠のmasterpiece。コルソン・
ホワイトヘッド『地下鉄道』は小説的想像力によ
って構築した希望。ジャック・ロンドン『火を熾
す』、また読みたい。
◎再読であったが、ジョン・ダワー『敗北を抱きし
めて 増補版‐第二次世界大戦後の日本人』で、
日本人として知っておくべき日本の姿を改めて見
せてもらった。
◎池澤夏樹が時間をかけて訳出した話題の詩集『カ
ヴァフィス全詩』、古代の歴史に人生を読み込ん
だ詩に感銘を受けた。
《2020年の読書の主なもの》
◎漱石の俳句、文学論、評論、安部公房の小説を読
む。安部公房の『方舟さくら丸』は傑作だと思
う。
◎フォークナーの土地と人間の深い結び付きと人間
が生きることの生々しさに感銘。特に『八月の
光』。
◎小説以外では、宮本ゆき『なぜ原爆が悪ではない
のか アメリカの核意識』は教えられること多か
った。
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この四人四様の在りようを通して人間の本性が描かれるのだろう。欲望を満たすこと、お金を得ること、この世の本質というより本音を理解すること、そうであっても、何か崇高なものを人間は求めているということ……。 第一部の本書では、カラマーゾフ一家に加え、グルーシェ二カ、カテリーナ、リーズら女性たち、ゾシマ長老、そして、カラマーゾフ家の下男スメルジャコフなどが出そろう。 アリョーシャに「俗世での大きな修行」勧めるゾシマ長老が臨終に向かうところで第2部へ。