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2024年4月の読書メーターまとめ

みのくま
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2024年4月に読んだ本
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  • Kai Kajitani

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  • Kai Kajitani

2024年4月にナイスが最も多かった感想・レビュー

みのくま
荒木摂津謀反、黒田官兵衛土牢に幽閉という歴史的挿話から着想を得た本作は、物語の面白さもさる事ながら有岡城内の不和や官兵衛の狂気、そして主人公荒木摂津の心理描写が真に迫っており大変面白い。特に荒木摂津は英邁であり家臣からの信も厚いが、ストーリーが進むにつれ徐々に空転していく様はリアリティがある。良かれと思って判断した事が、逆に大きな災となって返ってきてしまう。そして悍ましいのは度重なる危機を何とか乗り換えてしまう優秀さが、これまた逆に取り返しのつかない結末を呼び寄せる事になる。そしてそれは官兵衛も同様なのだ
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2024年4月にナイスが最も多かったつぶやき

みのくま

2024年3月の読書メーター 読んだ本の数:27冊 読んだページ数:7146ページ ナイス数:200ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/543477/summary/monthly/2024/3

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2024年4月の感想・レビュー一覧
29

みのくま
荒木摂津謀反、黒田官兵衛土牢に幽閉という歴史的挿話から着想を得た本作は、物語の面白さもさる事ながら有岡城内の不和や官兵衛の狂気、そして主人公荒木摂津の心理描写が真に迫っており大変面白い。特に荒木摂津は英邁であり家臣からの信も厚いが、ストーリーが進むにつれ徐々に空転していく様はリアリティがある。良かれと思って判断した事が、逆に大きな災となって返ってきてしまう。そして悍ましいのは度重なる危機を何とか乗り換えてしまう優秀さが、これまた逆に取り返しのつかない結末を呼び寄せる事になる。そしてそれは官兵衛も同様なのだ
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みのくま
コミュニタリアニズムの代表的論者による本書は「正義」や「共通善」というキーワードをアリストテレスやカント、ロールズを援用しつつ、現代の政治的問題を論じていく。アメリカにおけるプラグラティズムの伝統は根深くその論理は「正義」や「善」と遠い処にあるように感じざるを得ない。功利主義や機能主義的な主張は確かに頭が良い印象を与えるが、人間として大事なものを失っているのではないか。本書では終章で著者の主張が充分に開陳される。アメリカの激烈な経済格差とその影響による共同体の解体された後において、寒々しく共同体主義が響く
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みのくま
あくまで著者視点ではあるが歴史学の歴史が少し理解できた。実証主義と物語主義の対立、そしてマルクス史学。最近では単純実証主義のような史料を読むだけの学者も出てきている様でどんどん歴史がつまらないものになっているというのはよく分かる。また著者の恩師は石井進というのも面白い。石井進や網野善彦の歴史学はホラなのかもしれないけど面白い。なぜ面白いのかといえば、何か納得させられる魅力が論に付与されているからだろう。納得できるという事は尤もらしいという事で、この尤もらしさが何であるか希求したい。自伝的要素も楽しく読んだ
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みのくま
プラトン中期対話篇の代表作である本書はソクラテスが毒杯を仰ぐまでの1日を描く。テバイ人シミアスとケベスが主な対談相手になるが、両人ともソクラテスと対等に話し合える力量があり議論も高度で分かりにくい。テーマはやはり死についてであるが、なかでも魂の不滅についての議論は場面が場面だけに緊張感がある。プラトンは、ソクラテスの死を肉体の死であるとし、ソクラテスの魂は不滅だと書いた。無論ソクラテスの主張だったのかもしれないが、プラトンはソクラテスの魂の不滅を信じてソクラテス対話篇を書いたのだと思うと感慨深いものがある
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みのくま
本書は日本におけるプラトン研究の王道の入門書といった処であろう。哲学的であり文学的なプラトン読解は、現代では否定されている学説含め大変勉強になる。特にイデア論は項は白眉で、言葉では言い表せないものがイデアであるという指摘は、ソクラテスが著述しなかった理由の大きな一つであろうと思う。と同時にプラトンが書いた事も大変に示唆的であるのだ。他方で納富信留が指摘する様に、プラトンをあまりに無邪気に解釈しており、その危険性まだリーチできていない。プラトンの全体主義的思想を「悪口」であると断定するのは些か疑問を持った。
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みのくま
医師らしいアプローチで自己肯定感の呪縛をキャンセルしようとする本書は代わりに自己存在感という概念を提唱する。自己肯定感は認知的思考により他者との比較をベースにし成功体験の積み上げを自己に課す息苦しさがある。憂慮すべき点は、自己肯定と他者否定は不可分になってしまう事だろう。意識的にも無意識的にも他者にマウントを取ろうとするのだ。他方、代替になる非認知的思考の自己存在感は自分の「ある」を信じる事らしいが、単に仏教の悟りの言い換えではないかという気がする。そもそも自己存在は他己存在をベースに作られるのではないか
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みのくま
作品の中に司馬遷という歴史家の特徴を挿入していく本書は司馬遷という人物像を作品から立体化させていく事に成功している。「史記」は人物事績を積み重ねていく特徴があるが取り上げている人物の悪評はなるべく違う章に挿入するなどきめ細かい配慮が伺える処など、かなり興味深い。また単純に歴史観も面白く、特に秦の法治主義の行き過ぎが滅亡の原因とされている事も注目すべきだろう。法治という平等と合理に貫かれた一見素晴らしい統治も、漢の劉邦の不合理で粗野な政権に取って代わられる。これは理想主義の敗北であるし、現代にも示唆的である
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みのくま
大変面白かった。ソクラテスの議論は、反論はできないけど何か釈然としない気持ちにさせられるのだが、本書はその原因の一端を解き明かしている。ソクラテスは言葉の使い方が雑なのだ。本来なら簡単に結びつけられない比喩を、対話で相手に合意を取ることで乗り越えてしまう。きっと対話相手も釈然としないまま論破されたと思ってしまった事だろう。他方、著者はソクラテスはその事も分かりながら対話していたのだろうと言う。それ程、言葉の世界は難しい。だがソクラテスの真骨頂は、考えようと思っていなかった事を考えさせてしまう事なのである。
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みのくま
本シリーズの殿様のエピソードはどれも大変興味深い。明治を生きた殿様は、日本における近代的なパブリックの概念の萌芽を体現している存在なのではないか。そして天皇がいてこそ、殿様は明治新政府の下でも機能したのだろう。また、一見順応できなかった殿様もいるが、やはりそれも新時代の生き様の一つなのだと思う。封建制度と近代国家という線引きを後世のぼくらはしたがるが果たしてどこまで有効なのか分からなくなる。やはり精神史だけでも、もっと地続きに理解すべきではなかろうか。武士支配層のパブリシティは、もっと注目すべきであろう。
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みのくま
本書は素晴らしいテーマ設定だと思う。殿様にとって明治維新の衝撃は、おそらく戦後の農地改革以上のものがあったに違いない。日本史において稀有な出来事であった事は疑い得ないからだ。そういった激動期の支配者層の人々は権威権力の喪失をどのように埋め合わせたのか。驚くのは多くの殿様が洋行している事である。しかし彼らはアイデンティティを失する事なく、日本に帰国して国家に貢献しようとする。しかし近代国民国家的なアイデンティティとは異なり、そこには家制度が色濃く息づいている。この近世と近代に重なりが多くの事を考えさせるのだ
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みのくま
武田勝頼は10年間徳川家康を悩ませた傑物であった。武田家滅亡後、その遺臣たちもよく徳川家を助け、また武田家の遺した金の鋳造技術や統治術も伝わったという。特に御三家の水戸徳川家や尾張徳川家には武田家遺臣が多く、その影響力は絶大であったのだろう。そう考えると江戸幕府は複雑な系譜を背負っているように思う。武田家のみならず北条家からは吾妻鏡完本を伝えられており、鎌倉時代から武士の築いてきた多くの歴史が流れて込んでいる。そしてこの江戸時代が東日本のみならず、日本のアイデンティティを確立させた事を鑑みると大変興味深い
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みのくま
「ソクラテスの弁明」の論点は、なぜ裁判でソクラテスは裁判員の心象を損ねる様な大言壮語を吐いたのかという点である。クセノポンの答えは善く生きる為というものだが、残念ながら納得できるクオリティの答えではない。他方「饗宴」は少し面白い。プラトンの同名作品とは比べる事はできないが、ソクラテスの「取り持ち」の能力はプラトン版ソクラテスにはない観点である。実際、作品内におけるソクラテスは周囲に気を遣い、みんなが楽しめるように場を仕切っており、カリアスの魔の手から若者を助け、その父親から感謝を述べられていたりするのだ。
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みのくま
本書の解説の通りクセノフォンの描くソクラテスは知者であり教師である。確かにプラトン版ソクラテスとは異なるが、しかし共通している箇所もなくはない。プラトン版の野放図なイメージはあまり感じられないがクセノフォン版もやはり常人ではない雰囲気は伝わってくる。おそらくこの共通点がソクラテスの実像を想像する上で重要になっている事であろう。他方プラトン版は人の神経を逆撫でしてしまうソクラテスが描写されるが、残念ながらクセノフォン版だと何故ソクラテスが処刑されたのかが伝わってこない。彼の「ソクラテスの弁明」を読んでみるか
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みのくま
本書はヒッピー、LSD、東洋思想からエコロジーまでのニューエイジの系譜が陰謀論の根底にあると主張する。おそらく大筋は間違いないし、各章で興味深い事例(「癒し」論など)も語られており面白かった。ただ、では人間が陰謀論にハマってしまう理由を考察し得ていたかというと疑問である。本書で言われている通り、陰謀論者は合理性や科学と無縁ではない。むしろ彼らなりに合理性や科学を参照した結果、陰謀論にハマるのである。陰謀論の欲望は、この世界の表裏を理解したいという切なる願いではないか。彼らは「納得」を求めていると思うのだ。
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みのくま
戦国時代、後北条氏はなぜここまで存在感があるのか。それはきっと関八州という日本における辺境を代表した存在だからなのではないか。では、関八州とは日本においてどのようなエリアであったのか。本書はそのような問いには答えてくれない。驚く程平板に歴史的事実を羅列するだけである。たしかにそれは史実ではあるだろう。だが、ぼくたちの人生に直接リーチする力は持たないことも事実である。関東という土地は、江戸時代以前はどのような位置付けであったのかは、実は日本という国家の成り立ちについて考える上でキーポイントになるはずである。
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みのくま
本書はクレイトポン、アルキビアデス、アリスティッポスの3人の言動行動からソクラテスの影響について考察する良書。クレイトポンは「あなた(ソクラテス)はまだ徳の勧めを受けていない人間にとっては素晴らしく価値があるけれども、徳の勧めをすでに受けてしまった者にとっては、徳の極みまで突き進んで幸福になるためには邪魔も同然だと主張することになる」という。このソクラテス評はアルキビアデスにも共通し、若者たちを困惑させるのだ。他方アリスティッポスはもっと現実的な思想をソクラテスにぶつける。これがソクラテスの弟子たちなのだ
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みのくま
かなりヤバすぎて、逆に面白かった。従来ユダヤ人に対してはあるステレオタイプな言説が存在し、それが肥大してこのようなトンデモ説が生成されるのであろうが、それだけでは片手落ちの分析である。おそらく本書のような歴史観が生まれるのは、反中反韓的な発想がその根本にあるのであろう。古代日本にやってきた渡来人の影響力は無視できないが、それが中国人や韓国人では都合が悪いのだ。そしてこのような本にありがちだが、古代と近代以降の世界を意図的に混合する。ぼくはダイナミックな歴史観は好きだが、本書は決してその類いのものではない。
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みのくま
大河ドラマになると途端に本書のような本が出版されるが、どうもその内容はぼく自身の興味から逸れる。いわゆる俗説を斬っていく内容なのだが、どちらかと言うとぼくは「なぜこんな俗説が生まれたのか」という方に興味がある。ぼく達が作り上げてきた徳川家康は嘘だとして、なぜぼく達はその嘘の徳川家康にリアリティを感じてしまうのだろうか。それはぼく達の時代感性や願望といったバイアスのみならず、本当の史実では補えない「現実らしさ」に対する感度が影響しているように思う。この「現実らしさ」は時に陰謀論と親和性が高く厄介な問題である
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みのくま
本書は「ソクラテスの弁明」を章ごとに解説していくのだが、その内容はあまり感心できるものではない。著者はソクラテスの言う「魂の世話」をカウンセリングやサイコセラピーの起源と位置付ける。その為かソクラテスのカウンセラーに見立ててしまう所があり、たまに表出するソクラテスの激烈な物言いに苦言を呈したりするのだ。しかしソクラテスは現代のカウンセラーとは根本的に異なる存在であろう。彼は治療者ではないし、興味の中心は対話の相手ではなくもっと抽象的な概念である。ソクラテスという劇物を脱臭したい欲望は現代にまで続いている。
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みのくま
本書は大変わかりやすいがこれが本当にソクラテスの哲学かと言われたら納得のいかないものを感じる。本書は基本的に大学の授業を書き起こしたものであろうがはっきり言って子供騙し感を強いと思う。著者は、対話は相互理解に必要だと言うが、そもそもソクラテスは対話によってアテネの民衆の怒りを買い処刑されているではないか。よりに寄って「ソクラテスの弁明」という作品解説で、対話によって相互理解が促進されるなんてよく言えるなと思う。ソクラテスは決して歯触りの良い安全な哲学者などではない。その激烈さを描かずに何が分かるというのか
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みのくま
経営者的メンタリティを持つとどこまでも傲慢になれるらしい。歴史を経営者的観点でバシバシ斬っていく本書をぼくは全く面白く思えない。しかし逆を言えば、こういう一見合理的で最適解を出しているような言説が今の時代は求められているという事なのだろう。経営者の立場に立つと人は他人を駒(キャラクター)でしか認識しなくなるし、歴史事象に正解を求めるし理性的な行動が「当たり前」だと誤認する。でも歴史上の人物たちは駒じゃない。彼ら彼女らだって現代人と同様に一生懸命生きているわけで、その人間性を捨象して本当に歴史がわかるものか
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みのくま
本書で主張されるように、プラトンのソクラテス像は創作されたものである事は確かだろう。しかしクセノポンが真実のソクラテスを伝えているかは大いに疑問である。本書で取り上げられているクセノポン「家政」や「饗宴」を読んでも、プラトンへの対抗意識やクセノポンの興味が強く反映されている様にしか読めない。更にこれらのクセノポンの作品は正直つまらない。そこには教える→教えられる関係しかない。これらの作品で語られる農業やペルシアについての話題からはソクラテスの実像ではなくクセノポンの実像しか感じる事ができないのではないか。
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みのくま
古典を読むには書かれた当時の時代背景を認識しなければ分からない事が多い。それは理解できるが、本書のように作品の中にその説明を挿入してしまう事は如何なものか。勿論、当時の人々にわざわざ書く必要のない常識には言及すべきかもしれないが、同時にプラトンがわざと明示なかった事を挿入してしまうと、それは作品自体を毀損してしまう。特にプラトンとソクラテスの関係を明示するのは大いに問題だと言わざるを得ない。なぜ人称の問題についてこれ程まで無関心なのか理解に苦しむ。自分を描き入れないプラトンのメッセージ性は尊重すべきなのだ
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みのくま
令和の新しい保守/右翼の歴史観を知る上で読んでみた。思想史をマトリックスにして理解しようとする本書は、右翼と左翼という分け方では不十分であるという認識を前提にしている。著者が事あるごとに右翼と保守を切り離して語っているのも注目すべき点であろう。他方で、このマトリックスが本当に的を射ているかは疑問である。グローバリズムもナショナリズムも、自由主義も統制主義も、古代から現代にまで落とし込める普遍的な要素なのだろうか。思想史を通史で語りたい欲望は理解できるが、かなり雑駁な区分けでの理解になってしまい面白くない。
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みのくま
三畳紀末大量絶滅の原因をミステリー仕立てで描いている本書は、専門性とエッセイを混ぜ合わせたよう内容で不思議な読後感があった。著者の仮説によると温暖化が三畳紀末大量絶滅の原因とされており、同様に現今の地球温暖化に対しても危機感を表明している。地球温暖化は、地球規模の長いスパンに落とし込むとどうしても相対化されてしまうが、本書はその罠からは免れている。他方で、では地球温暖化は回避可能なのかというとよく分からない。むしろ地球温暖化は人類にとって滅亡の危機だが、それも含めて地球の運動の一部でしかない気がしてしまう
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みのくま
20年前に読んだ本だが、改めて再読してみた。本書は社会批評やエッセイに近いジャンルの本なのだろうが、なかなかピッタリと当てはまるジャンルはないのではないか。また、このような本がベストセラーになった時代も捨てたものではないような気がした。他方で個性の尊重の気風は本書刊行時から更に加速し、また情報の可変性を信じる人々もかなり増加したように感じる。本書の警句は何一つ現実世界に影響を及ぼしていない事に絶望を感じてしまった。本という媒体は時代を変えないのだろう。しかしその事を遡行的に発見する媒体としては優秀である。
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みのくま
本書は決して「ソクラテスの弁明」を忠実に漫画に起こしたものではない。ソクラテス(プラトン)が語らなかった事まで挿入されており、特にソクラテス裁判の背景は断定的にある説を取り上げている。本書で「ソクラテスの弁明」を読んだ気になるのはよした方がよいだろう。またプラトンが一登場人物として登場しており執筆者としての立場をとっていない事も大いに不満である。「ソクラテスの弁明」をどう漫画のフォーマットに落とし込むか思案した末の本書なのだろうが原典の魅力を毀損しているといっても過言ではない。絵解きにもならない駄作である
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みのくま
納富版ソクラテスの弁明はかなり読みやすく、ソクラテスの発言の意図や背景も理解しやすい。また解説が非常に親切で、ソクラテスやプラトンの略譜は素晴らしかった。告発者の3人やアテナイの裁判の情景もありありと想像でき、ソクラテスが戦っていたものも具体的に想像できる。ソクラテスはかなり前から誹謗中傷や讒言によって評判は地に堕ちており、それを覆す事は半ば諦めている事がよく分かる。ただ、それはあくまでプラトン目線でのソクラテスであって、実際どうだったのかは絶対にわからないであろう。ソクラテス文学の原点にして頂点である。
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みのくま
本書で一番面白かったのはマニ教である。マニ教はキリスト教にゾロアスター教の善悪二元論を導入し、旧約聖書の神を悪の神、新約聖書の神を善の神と位置付ける。この世界を完全無欠な善であるはずの創造主が創ったのであるならば、現実に悪が存在する事自体がおかしいわけで、その矛盾を解消する為にマニ教は作られたのだ。創始者マーニーはまさに「真のキリスト教」を伝えようとしていたとされる。だがマニ教の教義を紐解いていくと、どうも新約聖書の二次創作感が強い。そこにあるのは信仰というより理性的なロゴスが表面化しているように感じる。
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ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2015/01/22(3398日経過)
記録初日
2014/11/01(3480日経過)
読んだ本
977冊(1日平均0.28冊)
読んだページ
277536ページ(1日平均79ページ)
感想・レビュー
845件(投稿率86.5%)
本棚
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性別
年齢
36歳
職業
営業・企画系
現住所
東京都
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