ロシアの「強大な君主制」もまたモンゴルからの独立の過程で形成されていったことが記述される。ルーシの諸公国の間で合従連衡や謀殺が入り乱れる様は非常に込み入っていて凄惨でもある。しかしそれは関ヶ原の戦いや戊辰戦争とも共通しているのではないだろうか。あとどこかでイヴァン三世のリアリズム路線が、父親が捕縛されて目を潰されたりしたことに由来するのではないかと書かれていた。すでに確立したシステムが代表者を作り出すこともあるが、同時にパーソナリティが後の出来事に作用することもある。
「ジュガシヴィリが独力でことを始める前に、ラド・ケツホヴェリは彼にとって、大胆な職業的革命家の模範となった。……スターリンは、ラドの独立した革命的偉業と存在──他のすべてはほとんど、独裁者か、その他の人物に結びつけられるよう修正されさえした──とを抹消しなかった(ラドの生家は、ソヴェト・グルジヤを特集するニュース映画の中に含められることになる)」(S. Kotkin, “Stalin: Paradoxes of power, 1878-1928”, Penguin Press, 2014, p. 55)。
しかしこう克明に極貧生活を描かれてくれるのはありがたい一方、これを読んで選択肢の自由や機会の平等みたいな話題に多少考えを及ばせる人間は豊葦原中津国ではどれくらいいるだろうか。水木しげるという巨人が生き残ったことには、本人の才覚も当然あっただろうが、「運」も相当にあったであろう。「新自由主義」という言葉の定義に曖昧な部分も含まれることはすでに指摘されているが、それを「平等や再分配を重視しない、もしくは軽視する資本主義」と仮に定義するならば、水木しげる当人はそういったものに明確に否定的であったように思われる。
猫娘が最新型に変貌していたことで有名な2018年のアニメ版鬼太郎について届いた感想で「顔芸」という言葉が用いられている(p. 134)。この表現を自分は半分ネットミームではないかと思っていたので「今はこの言葉も市民権を得たのだな」と妙に感慨深い心地になった。同じ章では鬼太郎が相手の妖怪を殺さない(p. 133)という点について触れられている。確かに自分が覚えている限りのアニメ版では、そういった展開も皆無ではなかった気がするが、直接的に相手の滅びを描く場面は確かに少なかったように思われる。
人間が新しいメディアを「性的乱倫」を理由に侮蔑するという伝統的な偏見の形をどうしても克服できない様を克明に記されるのは自分としても人間をやめたくなって来るが、こういった経緯を記録していただけるのは有意義であり感謝したい。あと民間の漫画排斥運動に宗教団体が関わっていた事例もあることが指摘される。みんな大好き統一教会も登場(p. 236)。漫画や出版業界が攻撃されやすい理由としては、テレビや新聞と違いOB政治家の後ろ盾がない(pp. 78-9)という指摘は重要。コネの有無が生死を分けるのは西側でも同じらしい。
自民党は一貫して規制に賛成の姿勢であったようだ。あと枝野幸男が曖昧な条文のまま通されそうになった単純保持を禁止する法案に抵抗した(p. 25)という指摘は重要。もうイラク戦争に反対していたイギリスの音楽家が児童ポルノを送りつけられ逮捕された(p. 66)という、政敵を黙らせるためにそういう法律を使うというのがある訳で、それはどう考えても悪用であり恣意的な運用を許す法案は危険でしょう。昔の東ヨーロッパ圏で異論派が次々に精神病院に放り込まれて、国連から「何かおかしい」と突っ込まれたような奴です。
本書で知った文学者の中でも面白そうなのはドヴラートフで、収容所の警備員などを努めつつもソ連から追放されアメリカで没し、言語と言語圏という領域を奪われたのちはこの世に「世界文学」(p. 33)しか存在しないという真理を悟ったというド根性の持ち主である。前に映画をやってるのは知っていたが知らない作家なので見なかった。惜しいことをした。彼も1970年代に出国を許されたユダヤ系の一人(p. 310)だといい、ベニオフの『卵をめぐる祖父の戦争』で主人公の祖父母がソ連を出てきたというのはその辺が元ネタかもしれない。
あと帝政時代のロシアにはフレデリック・トーマスという、アメリカ南部からわざわざ世紀末のモスクワに出向いて行き、最終的に革命の動乱で築き上げたものを失いイスタンブールで没したという「冒険小説」のような人生を送った黒人がいたらしく(pp. 227-8)、『蝶と帝国』という日本の作品にはロシアでレストランを開いているアメリカ出身の黒人という人物が登場し、ひょっとして元ネタだろうか。沼野先生のアメリカ時代の恩師が書いた本の和訳があるそうで確認せねばならない。
東ヨーロッパとか吸血鬼とか好き。(25. 11. 2020)自分が始めるきっかけになった先達の人々にページ数が追いついたので、試験的に漫画も登録開始。途中で「反則」と感じたら消すかもしれません
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
しかしこう克明に極貧生活を描かれてくれるのはありがたい一方、これを読んで選択肢の自由や機会の平等みたいな話題に多少考えを及ばせる人間は豊葦原中津国ではどれくらいいるだろうか。水木しげるという巨人が生き残ったことには、本人の才覚も当然あっただろうが、「運」も相当にあったであろう。「新自由主義」という言葉の定義に曖昧な部分も含まれることはすでに指摘されているが、それを「平等や再分配を重視しない、もしくは軽視する資本主義」と仮に定義するならば、水木しげる当人はそういったものに明確に否定的であったように思われる。