いくつかの事実はあるにせよ、もはやただの悪口となっている部分も多く、あまり良い気分では読めなかった。タイトルにもある武士道も、終始その定義は曖昧で、「目つきの鋭さ」「身のこなし」「誠意」のような言葉が用いられるが、それらをかつての日本人が本当にみんな持っていたのか、またそんなに良いものなのか、ということは一考の余地があると思う。本棚【台湾を知る1mの旅】+22mm
こんなレビューをしておいてなんですが、今の僕にとっては必要ないかな、と思っただけなので、ダメとは限らないです。ちなみに僕は、こういう本にツッコミを入れながら読むのも、結構楽しめちゃう性格です。
台湾の子供達は学校で外国の地理ばかり学ばされていたため、国内の川の名前さえ知らなかったという記述(p.174より)にびっくりした。試験にでるからという理由で覚えた国の歴史や地理、国語の教科書の文学でさえも、自国のものを学べるのは当たり前なんかじゃなかったのだ。小中高という長い教育期間で、自然と自国のアイデンティティを育まれていたとは。本棚【台湾を知る1mの旅】+21mm
読んでみたいです。私自身、デザイナーからほぼ引退してアートに少しアプローチしているのですが、デザイン畑出身というのはやはりコンプレックスです。表現者には両方の要素が必要かもしれませんが・・。
コメントありがとうございます。デザイナーとして、芸術家として、両方ともを経験しているykshzkさんにはピッタリかもしれませんね。この本では芸術家をあまり特別視していないのが痛快で、もしかしたらですが、コンプレックスに効く薬になるかもしれません。
それとも、僕が知らないだけで、小説を通して世の中を変えるとか、国家に眼にもの見せる、みたいなのが当たり前なのだろうか。小説を娯楽だと思って生きてこれたのは、かなり幸せなことなのだろう。本棚【台湾を知る1mの旅】+20mm
ここまで全体を見れる仕事をした人がいたとは。それだけでなく、今もなお愛されているという、ただの流行りじゃないデザインは尊敬に値する。ピックには未来まで見えていたのだろう。最後にはおまけ的にポスター史まで載っていてユニークな本書は、現代デザインの歴史をおさらいするのにもってこい。
そもそも、全てが伝聞の中の伝聞…という入れ子方式なので、一体何が事実で何がフィクションで、誰が何の意見を言ったのか、ということがすごく曖昧である。多分誰が言ったか?はそこまで重要じゃないのだろう。プラトンの持つ多数の人格を総動員させ、彼の頭の中でそれらを対話させると何が起こるか?という実験に見える。一番納得できた部分は、p.134の、梯子の階段に例える場面。一つの美しき肉体から、普遍的な肉体、職業活動、学問などという段階を経て美の本質まで至るまでの道のり、それが生きることそのものなのである。
人間の努力と知性によるものであると主張した。(p.25)」全八章からなる本編と、序言、まえがき、あとがき、解説が力を併せて、読者の今までの仏教に対する思い込みを紐解き、如何にこの世を生き抜くべきかを教えてくれる。冒頭に名著と述べたのはそういった意味で、ブッダ、著者であるワールポラ・ラーフラ、訳者の今枝由郎の叡智が詰まった合作だ。本当に誰にでも実践できる考え方ばかり。解説内にある「現時点で入手できる最良の入門書(p.194)」と言う言葉は大袈裟ではない。
バラバラな感があまりないのが凄い。むしろ、それぞれが補完しあうかのように振る舞っている。一冊読み終わる頃には、高階秀爾の目を(論文、連載)、口を(講演)通して日本と西洋の違いが全体として理解されている。やはり自分自身が日本人だからなのか、定家の「否定の美学」、余白を敢えて残す「不在による存在の暗示」、曲線を直線から区別せず直線が「反った」ものだと捉えるなどの概念に、痺れる。終始、かっけえ…と言いながら読んだ。
それと、日本が旅行大国という話も面白かった。手甲脚絆に傘と杖で東海道を行く日本人は異常らしい。それは道中が比較的安全だったこと、宿場の施設が整っていたこと、幕府の参勤交代制度の影響などが理由として挙げられるそう。大名たちの旅程は幕府に先に提出され、途中で遅れたり変更したりできず、それが現代の新幹線の異常なまでの時刻の厳密さにまで繋がっているという。ピストルと家財道具を携行していたヨーロッパに比べると、はるかに庶民的/日常的だ。自分自身が身軽な旅が好きなのも、もしかしたら江戸スピリッツが流れているのかも。
作っている作品自体はとても良いと思った。街の一部、歴史の一部となる、面白くて快適な建築群を生み出している。つまり、文学を引き合いに出さずとも語れる部分はたくさんあるのに、古典と歴史の威を借りるように振る舞うのが少し嫌なのだ。
でもどうやったらそんなことができるのかまでは読み取れなかった(or書かれていなかった)。「親鸞はこの浄土教義の難問にたいして、ゆくところまで行ってみせたのである(p.122)」と、俗世に置いていかれてしまう。三つ目が、一番興奮した部分。それは「横超」という概念。これによって今までの生→(長い道のり)→死→(果てしない道のり)→無(浄土)という観念のイメージを組み替えた。先の矢印通りの漸次的な進行は、善への距離を縮めていないらしい。そしてそれを「充溢するもの、びまんするもの、滲みとおるもの(p.177)」
と表現されているのがとても面白い。井戸での壁抜けなんてまさにこれだろう。数々の異界物語が、普遍的無意識が語っているのはまさしくこれだと思う。行ける者には、不意に行けるのだ。
そんな風に、なにかに呼ばれるようにして、この作品集を開いたように思える。知るのが遅すぎたというべきか、ちょうど良いタイミングで知れたというべきか…。本を読んでいると、偶然がたくさん重なって、必然のように思えてくるからとても楽しい。そしてそれを記録しておける場所があることに感謝。ところで建築界でSirと言えば、真っ先にこの人の名前が挙げられるが、なぜSirと言われるのか、彼がどんな人生を歩んだのか、全然分かっていない。またその時が来たら知ることになるのだろうか。
読んだ本はできるだけ感想を書くようにしています。雑誌や漫画、写真集などのレビューも投稿しますので、苦手な方はお気に入り登録を外してくださると嬉しいです。
主に読む分野:空間、建築、デザイン、美術、アート、神話、仏教、宗教、哲学、文学、境界、異界、古典、文化人類学、民俗学、日本論、読書論、台湾、中国語
好きな著作家:
村上春樹(1949-)、Hermann Hesse(1877-1962)、河合隼雄(1928-2007)
好きな建築家:
Sigurd Lewerentz(1885-1975)、白井 晟一(1905-1983)
2019年→71冊
2020年→202冊
2021年→114冊
2022年→181冊
2023年→103冊(内 中文書籍17冊)
2024年→100冊(内 中文書籍30冊)(目標)
趣味:墓場巡り、古寺巡礼、海に行くこと、スケッチすること
(取り敢えずの)人生目標と進捗:
・岩波文庫100冊→25/100
・SD選書50冊→9/50
・台湾史&台湾文化→296/1000mm
・『戦争と平和』読破
・『カラマーゾフの兄弟』読破
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人間の努力と知性によるものであると主張した。(p.25)」全八章からなる本編と、序言、まえがき、あとがき、解説が力を併せて、読者の今までの仏教に対する思い込みを紐解き、如何にこの世を生き抜くべきかを教えてくれる。冒頭に名著と述べたのはそういった意味で、ブッダ、著者であるワールポラ・ラーフラ、訳者の今枝由郎の叡智が詰まった合作だ。本当に誰にでも実践できる考え方ばかり。解説内にある「現時点で入手できる最良の入門書(p.194)」と言う言葉は大袈裟ではない。