【2024年2月の読書メーター】月間ベストは松井優征『逃げ上手の若君』の第14巻。★読んだ本の数:16冊 読んだページ数:4411ページ ナイス数:334ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/73932/summary/monthly/2024/2
【日本周辺にある4枚のプレート】プレートには「大陸プレート」と「海洋プレート」がある。この二つがぶつかると、大陸プレートよりも重い海洋プレートが下に沈み込む。日本列島は大陸プレートである北アメリカプレートとユーラシアプレートにのっていて、その下に海洋プレートの太平洋プレートとフィリピン海プレートが沈み込んでいる。
【函館】昔の函館の坂の多くは幅が狭く曲がっていたため、火の手が上がると、すぐに燃え広がって大火事になっていたという。そこで、防火対策として幅が広くまっすぐな道に造り替えられた。その道の街灯、さらに民家や企業の明かりが形作る直線的な模様によって美しい夜景が生み出されたのだ。また、海底火山の噴火によりできた函館山はもともと島だったが、砂が堆積して陸地とつながり、陸繫砂洲を形成した。“女性の腰のくびれ”のようなこの形。町の灯りと両側の海の黒の対比が美しい函館の夜景は、まさにこの地形によって生まれたのだ。
【仙台】水運に適した海の近くの仙台平野ではなく、海から遠く離れた河岸段丘の上に造られた仙台の城下町。伊達政宗が仙台平野に城下町を造らなかったのは、仙台平野が過去、何度となく洪水や津波といった災害に襲われた場所だからだ。また、仙台が杜の都と称えられたルーツは、武家屋敷の屋敷林である。石高が半減しても家来をほとんどリストラしなかったために窮地に陥った政宗の植樹政策──屋敷の庭に食材となるリンゴ、栗、柿、ザクロなど実のなる樹木、燃料や建材となる杉や松を植えさせたこと──によって杜の都は造られたのだ。
島国マルタの首都バレッタの物件「騎士団遺跡」のモデルは、聖ヨハネ准司教座聖堂。聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)がマルタを治めていたとき、オスマン帝国を撃退したことから、関連する施設が建てられ、現在も残っている。アイルランドのダブリンの物件「ケルズ図書館」は、『ケルズの書』を所蔵するダブリン大学の図書館がモデルだ。『ケルズの書』は古くからアイルランドに伝わるキリスト教の聖書。世界で最も美しい本ともいわれ、アイルランドの国宝とされている。
ドイツのベルリンの物件「博物館島」のモデルは、ベルリン市内を流れるシュプレー川にある「博物館の島」と呼ばれる中洲。ここには、古代遺跡の展示で有名なペルガモン博物館など5つの博物館がある。中洲は多くの橋で市内とつながっている。パキスタンのカラチの物件「金ぴかバス会社」は、パキスタンのバスが外装も内部も派手に飾りつけられていることに由来する。運転中は大音量の音楽がガンガン流れるそうだ。
【上田】河岸段丘を利用して造られた上田城。崖下の千曲川が堀の役目をしていたので防御力が高く、南からの敵の侵入を防ぐ自然の要害になった。上田城のある場所は、かつては千曲川の河原だったが、軟らかいのに崩れにくい“上田泥流層”が山からの水をせき止めることで地形が変化。湖や沼といった湿地帯が形成され、そして最後に、川の流れに削られた急な崖ができたことで、まさに水に囲まれた天然の要塞が生まれたのだ。しかも、掘りやすく水も通しにくい“上田泥流層”を用いることで、城の守りに欠かせない堀も簡単に造ることができた。
【富士山】富士山は先小御岳、小御岳、古富士、新富士の4階建ての火山。古富士と新富士、2つの峰がそびえる時代を経た約2900年前、古富士が原因不明の山体崩壊を起こし消失してしまう。古富士大崩落のキズ跡は、残った新富士が噴火を繰り返し、自ら修復していった。富士山が今のような美しい形になったのは、約2200年前だと考えられている。富士山の美を維持してきたお化粧直しに必要な割れ目噴火は、フィリピン海プレートの力によって生み出された。このプレート上にある伊豆半島は本州と衝突し、南東から北西に富士山を押し続けている。
2010年9/7に登録。
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【函館】昔の函館の坂の多くは幅が狭く曲がっていたため、火の手が上がると、すぐに燃え広がって大火事になっていたという。そこで、防火対策として幅が広くまっすぐな道に造り替えられた。その道の街灯、さらに民家や企業の明かりが形作る直線的な模様によって美しい夜景が生み出されたのだ。また、海底火山の噴火によりできた函館山はもともと島だったが、砂が堆積して陸地とつながり、陸繫砂洲を形成した。“女性の腰のくびれ”のようなこの形。町の灯りと両側の海の黒の対比が美しい函館の夜景は、まさにこの地形によって生まれたのだ。
【仙台】水運に適した海の近くの仙台平野ではなく、海から遠く離れた河岸段丘の上に造られた仙台の城下町。伊達政宗が仙台平野に城下町を造らなかったのは、仙台平野が過去、何度となく洪水や津波といった災害に襲われた場所だからだ。また、仙台が杜の都と称えられたルーツは、武家屋敷の屋敷林である。石高が半減しても家来をほとんどリストラしなかったために窮地に陥った政宗の植樹政策──屋敷の庭に食材となるリンゴ、栗、柿、ザクロなど実のなる樹木、燃料や建材となる杉や松を植えさせたこと──によって杜の都は造られたのだ。