形式:文庫
出版社:KADOKAWA
藤谷治『小説は君のためにある』によれば、小説は個人によって・個人のために書かれたものだが、その指摘に従えば、作者は小説家だ。自分の記憶に留まった個人的なイメージや場面の描写、その喚起力は殊の外優れている(原岡文子氏の解説における「柿」の注目は興味深い)。また夢告や仏道修行といった、当時の規範常識だった宗教的なものに、収まり切れず逸脱してしまう自分を、包み隠さず書いているのも面白い。
そのような個人を凝視する姿勢が、『源氏物語』を始めとする物語耽読によってもたらされたものであれば、と想像するのも楽しいことだ。
源氏物語を読んでいますが、はやる気持ちがわかります。
でも最後は夫に先立たれ、子供も巣立ち、寂しい人生を送っていたことが意外だった。この日記はまだ物語の世界に憧れていた自分の想いを残すための日記だったんだろうか。
なんだ。私、ナイスしてるじゃん(~_~;)。
歳とともに涙もろくなるというが、全米が泣いた的な、感動巨編みたいなお涙頂戴に、作り側の手練手管しか感じなくなり。本書の「見送りの人たちが見えなくなるまで手を振った」のような描写に涙腺はゆるむ。
地元に更級日記ゆかりの地とあり、地名も更級のため、この土地から採ったのかと思いや、主客が逆で、嗚呼大馬鹿は我がうちに。
第5回 日本の古典を読む(2017年5月)
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