《蝶は死者の象徴》って出典はどこなのだろうか?(08月24日)
http://book.akahoshitakuya.com/post/13/93148516
地獄蝶・極楽蝶 >> 「昔は蝶と蛾の区別はしなかった」p19。織田信長着用と伝えられる蝶紋入りの陣羽織あり(東京国立博物館蔵)。極楽蝶=岐阜県にて揚羽蝶の類いをそう呼ぶ(明治43年)。
虫曼荼羅―古典に見る日本人の心象 >> 「日本書紀」より。「常世の神」=「常に橘の樹に生る。或いは曼椒に生る」虫。「其の大きさ頭指許。その色緑にして有黒まだらなり。其のかたち全ら養蠶に似れり」は、 小西正泰によると「ナミアゲハ・クロアゲハ・モンキアゲハ」が考えられる。(p157)
虫曼荼羅―古典に見る日本人の心象 >> 蝶への、当時の人々に物珍しがられようからして、垂仁天皇の時代(紀元前29〜紀元70年)に「橘」とともに渡来した珍虫だったと推論している。
蝶を畜生道に落ちた存在として見る←仏教の影響。平安後期以降広まる。インドで蝶が好ましいものとしてとりあげられなかったのは、そのため。@山内麻衣子『境界の装置としての蝶鳥文様』「美学論究18」pp53-72より。※源信「往生要集」(985年成立)では、まだ蝶までは畜生道のうちに含められていない。
不二龍彦「招福大宝典 迷信・俗信大百科―困ったときに妙に頼れる」(1996) (エルブックス)
Wikipedeia「蝶」の参考文献。日本に限らず、ヨーロッパ・朝鮮・ザンビアなどの伝承とまとめて記載されているもの。
44頁引用→「「立山の追分地蔵堂では、毎年七月十五日の夜、多数のチョウが群がり飛ぶといい、これを「生霊(しょうりょう)の市」と呼ぶと『和漢三才図会』にあります。チョウを生霊と読んでいるところに注目してください。」また、欄外に「「チョウ図」(カイコ蛾)。昔は蛾もチョウもチョウと呼び、めでたい虫として女性の衣服の模様などに用いた(『古今沿革考』)」との注あり。
枕草子(上) (講談社学術文庫)
上坂信男「虫は」(第41段、p218-222)「虫は 鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひを虫。螢。」
この段の解説:「ここで挙げられる虫の名はほとんど和歌の素材として詠まれているが」と書かれている以外、蝶について注なし。
古今集692・よみびとしらず「月夜よし夜よしと人につげやらば こてふににたり 待たずしもあらず」も、岩波文庫だとかな表記でどちらにもとれるが、web上では「来てふ」とあててる文章が多いんだね。(08月25日)
http://book.akahoshitakuya.com/post/13/93172446
拾遺和歌集1103・紀貫之「こてふにも似たるものかな花薄 恋しき人に見すべかりけり」は「蝶」か、「来てふ」か。web上でどちらの解釈の文章も見たけど、お互い違う解釈についての考えは載ってなかった。(08月25日)
http://book.akahoshitakuya.com/post/13/93172115
へんなとこにひっかかってる。古今集や拾遺和歌集の「こてふ」=胡蝶?来てふ?それとも畳語だろうか。(08月25日)
http://book.akahoshitakuya.com/post/13/93171656
古来よりあったものについての記述があまりにも少ない、というのは意図的な排除なのか。日本における蝶。和歌における星。漢詩における恋愛。(08月25日)
http://book.akahoshitakuya.com/post/13/93159265
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