昭和15年9月に近衛政権下の松岡洋右外相主導のもと、日独伊三国同盟が結ばれました。実はこの三国同盟、さらにソ連を加える構想だったのです。
昭和14年独ソ不可侵条約が締結された際、日本は首相が辞任するなど大混乱に陥りました。すでに結ばれていた日独伊防共協定はソ連を仮想敵国とするものだったからです。しかし、独ソ不可侵条約が結ばれた際、朝日新聞は昭和14年8月28日付の天声人語で、ドイツに加えてソ連と手を結ぶべきと主張しました。この記事を見た日本駐在のドイツ大使、オイゲン・オットが朝日新聞の幹部、緒方竹虎のもとを尋ねました。朝日新聞は全体主義国家(日本はそれに近い状態)を訴えたのでした。以上のことは、『日露近代史』のp292に詳しく言及されています。
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