後藤春美『上海をめぐる日英関係』(東京大学出版会)を読み、教えられることが多くありました。以下はp232の引用であり、場所は上海です。
すでに一九二七年の南京事件の際にも批判されたことだが、大衆の欲求不満に対する幣原の感度は低かった。そして、一九三一年夏の段階では、幣原は排日運動に対しほとんど無為無策のように見えた。(中略)幣原指揮下の外務省は、海軍のみならず、海軍に頼ろうとする上海日本人商工業者の制御もできなくなっていた。
中略以下の部分は分かりにくいので解説します。1931年夏には上海で排日運動が盛んで統治の日本人は命の危険を感じていました。そのため海軍の一部が上海で実力行使をしていたのです。
幣原のエリート意識は非常に傲慢で、外交交渉のことなど大衆に分かるはずがなく、またその生命財産を蔑視すること甚だしいものがあったのです。
このような幣原ですから、人の命の重みを蔑ろにした憲法9条の制定に大きく関与できたのでした。
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