昭和の戦時下、国策遂行に協力した人物はしばしば、戦後になって「日中友好」を訴えました。そうした人物の一人が、満洲重工業開発(株)総裁の高碕達之助でした。高碕は最初満洲重工業開発の副総裁に就任したのですが、彼はその際幣原喜重郎に相談しました。そしたら、幣原は高碕に対し、副総裁就任を勧めました。
満洲事変が勃発したときの外相は、幣原でした。その幣原が、満洲事変以降の国策遂行に強硬に反対したわけではありませんでした。
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