昭和5年11月に首相の浜口雄幸が東京駅で暴漢に襲われ、外相の幣原喜重郎が首相代理となりました。翌年の2月、帝国議会でロンドン軍縮条約の審議に際して、幣原が「現ニ倫敦条約ハ御批准ニナッテ居リマス」(今井清一『浜口雄幸伝(下巻)』p321)と発言し、枢密院で批准されているから問題ないとの趣旨を述べました。これに対し、野党は責任を天皇に帰するものだと発言を重大視し、議場は大混乱しました。ところが、幣原は湿原を撤回するどころか、「しかし幣原は失言を取り消さなかったので、2月7日まで5日間にわたって連日議場は騒擾と乱闘に明け暮れ、議事は一向に進まなかった」(同上)のです。
この時期、陸運のクーデター未遂事件「三月事件」が信仰していたのも、帝国議会のこうした大混乱が背景にあったのです。
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