英国の日本近代史研究家のイアン・ニッシュは、大正末期から昭和初期にかけての幣原喜重郎の外交を以下のように総括しています。
幣原の考えと宇垣や陸軍の考えは、氷炭相容れない関係にあった。すなわち、宇垣は列強との協調を促していたのに対して、幣原は自国中心的な政策を日本単独で追求することを望んだ。(中略)彼の内政不干渉主義は、実は、自己にもっとも適したやり方で日本の商業的利益を追求するために、他の列国とは距離をいて一人わが道を行くといった意味をもつものであった。
幣原はこの時期、けっして協調外交を展開したのではありません。協調外交を展開したのは、陸軍大臣の宇垣一成らであったのです。
「大正デモクラシー」のイメージが戦後民主主義者の手で大きく歪められたと同様に、幣原喜重郎の外交政策も同じ運命を辿ったのでしょう。
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