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日本近現代史研究会

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服部龍二『広田弘毅』(中公新書)のp63より
トピック

辻貴之
2019/07/12 15:56

 引用します。

 このころ広田は、政党政治に批判的な国維会という団体に接近した。思想家の安岡正篤をイデオローグとする国維会は、「日本精神」によって国政を刷新しようとする政治集団であり、内務官僚の松本学らを中心としていた。後藤は五・一五事件後に成立した斎藤内閣で農相となっており、国維会は新官僚と呼ばれた革新的官僚勢力の母体とみられた。
 政党政治について国維会は、政権争奪戦になりがちだと弊害を主張していた。広田は国維会で一九三二年十二月から理事となっており、湘南に暮らしながらも東京に足をのばした。同じく国維会の理事であった貴族院副議長の近衛文麿とも交わっていただろう。広田、近衛、後藤のつながりは、新日本同盟以来であった。

 この新日本同盟には、朝日新聞の緒方竹虎もいました。広田と緒方は共に福岡県出身の玄洋社系でした。

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