同書の副題は「大阪朝日新聞と近代中国」です。おそらく著者自身が大阪朝日新聞社の記者だったと思います。大正9年6月から昭和11年5月、大阪朝日新聞の主筆は高原操でした。後藤によれば、高原こそ「普選と軍縮」という時代の要請に応えた新聞人とのことですが、高原は俳句が趣味で、昭和16年12月8日からは連日「連勝を讃える句が続く」とあります。太平洋戦争を肯定したのは明らかであり、どのようにすれば、「徹底した和平主義者であった高原」(p406)などと解釈することができるのでしょうか。
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