2・26事件のあと、緒方竹虎の先輩かつ盟友の広田弘毅が首相となります。朝日新聞ではそれに合わせるかのように、昭和11年5月緒方が東西朝日新聞全体の主筆となり、社内の言論統制を開始しました。社是である「不偏不党」の精神を放棄して、広田内閣支持の論調を明確にします。同書には「これではかれの独裁であり、自由な言論は社内でさえ地を払う」とあります。朝日新聞はこうして、政府の国策遂行に協力する態勢を整えていったのです。
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