緒方竹虎は終戦直後の東久邇宮内閣で内閣書記長官に就任します。そしてこの内閣で、石原莞爾を内閣顧問に迎え入れようとしました。同書から引用します。
緒方は内閣顧問に元関東軍参謀で、予備役に編入されていた石原莞爾を招こうとしたが、石原は拒絶した。しかし、緒方は石原の意見を聞き、東久邇宮首相の方針に組み入れようとした。
引用は以上ですが、こうして誕生したのが「一億艘懺悔」論でした。国民の多くが反発したのは当然でしょう。
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