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日本近現代史研究会

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手嶋泰伸『日本海軍と政治』(講談社現代新書)のp160より
トピック

辻貴之
2019/10/18 19:15

 盧溝橋事件が勃発した昭和12年7月以降のことです。引用します。

 そうした中で、第一次近衛文麿内閣で海相であった米内光政は、当初、断固として不拡大方針ををとっていた。だが、日中戦争の全面戦争化と長期化を最終的に主導することになったのは、他ならぬ米内だった。
 まず、日中の全面戦争化という点では、米内は当初、紛争の範囲を中国北部に限定するために、軍令部が主張していた、居留民の保護などを理由とする中国南部への派兵には強く反対していた。ところが、一九三七年八月に、上海で中国軍戦闘機が第三艦隊の旗艦出雲を爆撃すると、米内は閣議で周囲が困惑するほど強硬に中国南部への派兵を主張するようになり、(中略)南京占領の必要などにまで言及し、戦線の中国全土への拡大をも辞さなくなった。

 引用は終わりますが、緒方竹虎は米内と非常に親しく、8月13日の運命の日にも会談しています。




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