満州事変は昭和6年11月中頃以降、参謀本部が関東軍に強い命令を出して暴走が止まっていました。ところがスチムソン談話事件が起こり、それが一因となって若槻内閣は総辞職となり、再び関東軍は暴走します。同書からの引用です。
幣原外相が米国のスチムソン国務長官に、南陸相と金谷参謀総長の意を受けて錦州攻撃の意図がないことを伝える際、「機密」に指定せずに伝えたため、スチムソンが記者会見で発表し、政府が「軍機漏洩・統帥権干犯」として攻撃された事件である。以後、南・金谷・幣原の政治威信は急速に低下する。
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