九月一五日に満洲国を承認した日本政府に従う意思を示すようになる。その結果同年末に打ち出された方針が、「日支満三國の緊密なる協同」を前提とした「東洋モンロー主義」である。もはや吉野は国際連盟脱退を已む無しとし、日本があらゆる犠牲を払ってもそこに残留すべきとは考えなくなった。 吉野作造もまた、アジア主義者だったのです。
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