一九〇五年一〇月一二日、桂首相は来日したアメリカの鉄道資本家ハリマンとの間に仮協定を交わして、日米合弁シンジケートによる満州鉄道経営にいったん同意したが、これを破棄させたのはポーツマスから帰国したばかりの小村であった。講和条約に調印したことで,小村は皮肉にも日比谷に結集した対外硬派の攻撃目標となってしまった。協定破棄という強硬措置にで出なければ、小村は彼らとのつ繋がりを完全に失っただろう。
名外相との評価の高い小村寿太郎ですが、再検討が必要ではないでしょうか。
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