昭和10年8月、陸軍省軍務局長の永田鉄山が殺害されます。永田は統制派トップです。その事件の影響により、木戸幸一と原田熊雄が護衛対象となりました。木戸と原田は永田に近く、彼らも攻撃の対象にされるかもしれないと判断されてのことです。近衛文麿は皇道派に近く、今回は警備対象となりませんでしたが、彼ら3人はいずれも親軍派だったのです。
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