以下は西園寺公望に関連してです。 加藤死亡後の1930年代後半には、加藤を木戸孝允・大久保利通・伊藤博文と並べてひとかどの人物とし、原を加藤よりも下位に置くような回想をしている(中略)。 この時点で西園寺は、原敬より加藤高明を高く評価していたのです。西園寺の「認知」は完全に歪んでしまっていたのです。これが昭和動乱の原因の1つです。
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