政友会の田中義一内閣が倒れた昭和⒋年7月当時のことです。以下引用します。
当時、多くの知識人は、既成政党=ブルジョア政党への失望と批判ばかりを語り、同時に新興の第三極としての「無産政党」の発展に期待していのだった。二大政党制の意義と理念を語ることのできなかった彼らは、「無産政党」が内訌(ないこう)を続けて国民多数の支持を得らず夢が破れると、今度は「軍部」や「近衛文麿」「新体制」などに期待することになる。
勝負は、マスメディアの既成政党政治批判と天皇シンボル型ポピュリズムが結合しはじめたこの時期につきはじめていたとも言えよう。
多少後付の論理ともいえますが、マスメディアが国民を煽りミスリードしたことは事実です。今日とそれほど変わっていません。
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