日本政府は、ポツダム宣言にスターリンの署名がないことに真っ先に注目した。そのため日本政府は、ポツダム宣言を受諾して降伏するよりも,ソ連の仲介を通じて戦争を終結する従来の政策を継続した。スターリンが必死で共同宣言に参加しようとする試みは惨めな失敗に終わってしまったが、この失敗がむしろ、日本がいっそうソ連の斡旋を頼みの綱とする政策を継続するという、棚から牡丹餅の結果をもたらしたのである。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます