木戸は二・二六事件の際、昭和天皇が新内閣・暫定内閣を拒否して反乱軍鎮圧を表明するのに主導的な役割をはたしましたが、これによって、昭和天皇の木戸に対する信頼が高まり、同時に宮中において木戸の存在感が、一気に増すことになったのです。のちに木戸は内大臣になりますが、内大臣は天皇の最側近であり、輔弼責任者です。その内大臣になる下地が、二・二六事件後の意見具申によってできたわけです。
重要なのは、昭和天皇への具申のエッセンスが統制派の永田から得たものであったと木戸自身が考えていることです。つまり、木戸自身のなかに、統制派に対する信頼感があったわけです。
これは第五章で述べますが、一九四〇年(昭和一五年)七月、木戸が内大臣の時に陸軍中央、すなわち統制派は国策案「時局処理要綱」を策定しています。これにより日本は軍事資源を求めて南方進出を決め、そのことが太平洋戦争を勃発させる引き金になるのですが、軍部から出される案は、天皇が裁可しないと国策として決定しません。その時に統制派に信頼を寄せる木戸が内大臣であったことは、日本の歩みを決定づけるうえで非常に重要な意味をもちます。
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