この間に日本の戦局は、悪化の一途をたどっていた。サイパン島が一九四四年七月に陥落すると、東条英機内閣は総辞職した。東条内閣に代わって小磯国昭内閣が成立したものの、外相の重光葵はそのまま留任した。そして日本は、ソ連との関係に一縷の望みをつないだ。つまり日本は、米英とソ連の矛盾を利用しながら日ソ中立条約を強化して、独ソ間の和平を斡旋しようとしたのである。
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