昨日の産経新聞に小谷賢・日大教授の小論「守り続けるウクライナの主権、理念に目を」が掲載されました。私が非常に共鳴した一節を以下紹介します。
他方、戦後日本は経済と人命至上主義でやってきた。これ自体は悪いことではないが、その考えに従えばなぜウクライナの人々が人命を度外視してロシア軍と戦っているのがよく見えてこない。
引用は以上です。今紹介した一節には、戦後日本の弱点が端的に指摘されている、と私は思います。
武装を認めないのは、独立を認めない事と同義だと考えております。
第一次大戦後のドイツに対して厳しい軍備制限が課されましたが、ヒトラーがドイツの実権を握ると一気に再軍備を進めて、第二次世界大戦になりました。非武装化や軍備の制限はメリットがありません。
ウクライナとロシアの首脳会談が近く行われるとの報道もあります。
実現するかどうかは別にして、ロシアは当初、ウクライナの「中立」と「非武装」を求めていました。ただウクライナにとって、中立はともかく、非武装は絶対に認められないでしょう。もしウクライナが非武装化すれば、ロシアはいつでもウクライナを侵攻するチャンスが与えられるからです。
戦後日本では、先の戦争への「反省」を大義名分として、実際は破壊衝動を行使しているものが少なくないのではないでしょうか。今回のロシアによるウクライナへの軍事侵攻を目の前にしても、憲法9条擁護や非核三原則を声高いに主張する人々には、そうした類もかなり潜んでいる、と私は考えています。
今日の産経新聞で、細谷雄一郎・慶応大学教授が小論「『降伏』論が映す平和主義の悪弊」を執筆しています。私が感銘を受けた個所を引用します。
ただ、日本の世論で、「ウクライナは降伏すべきだ」との意見が強いのは驚きだった。同国民の命を思ってのことだろうが、戦後の平和教育の悪弊といえる。平和を重視するあまり、「隷従の平和」、つまり独立や自由、人権などの他の価値を犠牲にしてでも平和を得るべきだという意識だ。厳しい表現だが、戦後の日本人の精神の醜い側面だ。
引用は以上です。
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