著者のセバスチョン・ハフナーとは、1907年生まれのドイツ人です。ヒトラー政権当時の1938年にイギリスに亡命し、戦後になってまた母国に戻ったジャーナリスストです。同書にはなかなか興味深い記述がいくつかありますので、明日以降にアップします。
同書p300からの引用です。
ドイツを滅ぼすこと、これがヒトラーが人生の最後に立てた目標だった。(中略)
ドイツの歴史はヒトラーで終わったわけではない。にもかかわらず「ドイツの歴史はヒトラーでおしまい」と一人合点し、過去を忘れ目先にうつつをぬかしている人たち、じつはそういう人たとこそ、ヒトラーの意志をもっとも忠実にかなえていることに、みずからすこしも気づいていないのである。
同書p143からの引用です。
デハヒトラーはどちらのタイプか。ヒトラーを不用意に右翼政治家に位置付けてしまうのは禁物だ。彼はあきらかに後者のタイプ、すなわち左翼政治家のタイプだ。ヒトラーはたんなる実務政治家ではなく、思想的政治家、目的の設定者、彼一流の表現を借りれば、「綱領作成者」であり、いってみればヒトラー主義を唱える「マルクス」であると同時に、それを実践する「レーニン」であった。彼は、自分のなかにプログラマーと政治家が同居していることを、たいへん誇りにしていた。「長い人類の歴史でも一度きりのことだ
同書p143からの引用です。
これとは異なるタイプの政治家がいる。彼らはきまって理論を実践に移そうとする。国家や政党に仕えると同時に、歴史的使命を果たし進歩思想に貢献したいと考えるのである。こういうタイプはたいてい左翼の政治家で、まず成功しない。挫折した理想主義者、夢破れた夢想家たちの数は、浜の真砂よりも多い。(引用続く)
左翼リベラル派にとって、ナチスが左翼というのは都合が悪かったのですね。ソ連がナチスと異なる点は、戦勝国になった事と特定の人種を滅ぼそうとしなかった事ぐらいではないかと思います。
自由と民主主義と人権が尊重されていなかった点はそっくりです。
たしかにナチスとは国家(あるいは国民)社会主義ドイツ労働者党ですから、常識的には、左翼と考えるべきでしょう。戦後日本では、左翼リベラル派が強かったから、彼らはソ連とナチスの差異をことさらに強調したかったのではないでしょうか。
同書p117からの引用です。
ヒトラーも大衆を熱狂させはしたが、けっして大衆を離脱して、上流階級にのし上がろうということはしなかった。(中略)彼が唱えた国民社会主義(ナチズム)は、ファシズムとはまったくちがうものなのである。すでに前章で見たとおり、ヒトラーが唱えた「人間の国有化」は、ソ連や東ドイツのような社会主義国にぴったりあてはまる。ファシズムの国々では、この「人間の国有化」というのはほとんど進まなかったが、あるいはまったく欠落しているかのどちらかであった。
ナチスは「国家社会主義ドイツ労働者党」が正式名称ですから、これだけでも右翼と左翼に大した違いはないという事がよく分かります。
ソ連と全面戦争になったのは、近親憎悪か同族嫌悪もあったのではないかと思います。
同書p116以下からの引用です。
もちろん彼は民主主義者などではなかったが、権力の基盤をエリートではなく、大衆に置くポピュリストであった。見方によっては、絶対権力にのぼりつめた民衆扇動家といえた。彼が用いた最大の武器は扇動であり、つくりあげた支配機構は序列化された階級制度ではなかった。混沌としたまとまりのない大衆組織を、頂点に立つ彼一人がたばねて統括したのである。どこを見ても右翼というより、左翼的性格が濃厚であった。
(引用続く)
ヒトラーの野望は失敗しましたが、影響力は未だに衰えていないのが恐ろしいところです。
破壊衝動の持ち主は死んでも、破壊衝動はウイルスのように伝播していくという事でしょうか。
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