「日本近代の歴史」第6巻です。同書が素晴らしいのは、何といっても、文章がやさしいことです。幕末について私が想像していたよりも、はるかに当時の国内は混乱していました。また興味深い箇所を、次回以降アップします。
私の考えでは、著者の片山氏は水戸学を含めた日本歴史のB面に対する評価が甘いと思います。B面の歴史には、破壊衝動が関与していることでしょう。それゆえ、人の歴史において避けられないという旨の片山氏の指摘はその通りですが、そうしたB面の歴史の素顔を分かりやすく解説して、それを少しでも解消していこうとするスタンスに欠けているように、私には思われます。
だが、それは常にカウンターである。副将軍の永遠の遠吠えである。日本のような半端な規模の国が筋を通すことに拘れば、滅びに繋がることを天皇や将軍は知っている。でも副将軍はそれが許せない。水戸のロマンティシズムである。水戸学は日本のB面で常に怨歌をうたい、天狗党や二・二六事件の悲劇に辿りつくことに決まってる。だが、それがあってこそA面も回るのであろう。B面は常に割に合わない。けれど、B面のないA面はない。B面を知らずしてA面を語れない。水戸を視ずに語られる日本に意味はない。
同書p465からの引用です。
三島は、幼い日に祖母の寝物語にでも聞いた松平頼徳の佐幕派に野次られての切腹譚に呪縛され、市ケ谷台で、裏切られた尊王愛国論者として、野次を浴びつつ切腹する悲劇へと自ら追い立てたのではあるまいか。しかし水戸学の尊王精神は「七生報国」の楠公精神であるから、松平頼徳も三島由紀夫も、あるいは藤田小四郎も藤田東湖も会沢正志斎も徳川斉昭も、いやいや徳川光圀さえも、姿を変えてはこの国に何度でも現れ、筋を通し、義を貫き、大義に従えと、謳い続けるのであろう。(引用続く)
幕末にも過激思想はありました。急進的な尊王攘夷思想は、その典型でしょう。この時期、欧米列強の外圧が働くようになり、「攘夷」思想が破壊衝動の絶好の口実となり、日本社会全体が混乱の極に達しました。「皇国を外国から守れ」という訳です。長州の過激な尊王攘夷思想や水戸学などは、その典型ではないでしょうか。
明日以降また、同書から引用します。
幕末に暗躍した過激思想の持ち主の中にも、生育環境や家庭環境の問題から破壊衝動の持ち主になってしまった人がいるのでしょうか。
それとも、幕府の制度疲労や欧米諸国の接近といった内圧と外圧によって過激思想が生まれたのでしょうか。
幕末について、まず片山・慶応大学教授の『尊皇攘夷』(新潮選書)の末尾から明日以降、引用します。その方が幕末の混乱がわかりやすいと思うからです。同書の副題は「水戸学の四百年」です。一言で言えば、幕末も過激思想が日本社会に影響を及ぼしていたのです。
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