植民地獲得で遅れをとったプロイセンでは、ビート(砂糖大根)からの砂糖の精製が研究された。サトウキビが適している熱帯、亜熱帯ではなく、温帯に適していた。これに目をつけたのが、「大陸封鎖」を行ったナポレオンだった。19世紀末にはビートの生産は一時的にサトウキビを抜いた。現在はサトウキビが盛り返している。
砂糖のあるところに奴隷あり。産業革命により労働者の賃金を安くしたいブルジョワの反穀物同盟(マンチェスター派)が、地主と対立。又、カリブ海のプランターのロビイスト西インド諸島派と対立。1807年、奴隷貿易の廃止、1833年、奴隷制の廃止。これは砂糖の値段を下げるため。すると今度は西インド諸島派が他国の奴隷を使った砂糖の輸入を禁じるように働きかける。砂糖の値段を下げたいマンチェスター派は反対。つまり、奴隷制度廃止は、人道的な理由ではなかったということ。
ヨーロッパに砂糖を伝えたのは、イスラム教徒。地中海東部のキプロス、ロドス、シチリアなどで栽培。サトウキビの栽培と精糖の技術は十字軍の遠征から伝わったか。15世紀末にはポルトガルの大西洋沖のカナリア諸島、マデイラ諸島で栽培。やがて、ポルトガル、スペインはイスラム教徒を追い出し、前者はアフリカ(とポルトガル)、後者はアメリカを植民地化。
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