ローマ皇帝はプリンケプス(市民の第一人者)であるというのが建前。インペラトールの語源は偉大な司令官(最高司令官)だった。しかし、五賢帝の時代には、人々が皇帝に「ドミネdomine」と呼びかけていた。ドミネの主格はドミナスで主人を意味する、とある。中村元の本にお布施はパーリ語でダーナーといい、英語のドナー、日本語の旦那の語源になったとあった。インド-ヨーロッパ語族の共通項であると思われる。
カルタゴ、マケドニアに勝利して、征服地が増大し、格差が増大。又相次ぐ戦乱により農地が荒廃、困窮した農民は農地を手放す。安く買い占めた上流階級が奴隷を使う。奴隷制ラティフンディア。階級対立が内乱へ。祖国愛から自己愛、身内愛への変化。ティベリウスとガイウスのグラックス兄弟は、改革を進めるが、暗殺される。
第二の建国者カミルス(BC447-365)、エトルリア侵攻とケルト人(ガリア人)のローマ侵攻。ローマ奪還。彼の死後、前四世紀から前三世紀にかけてサムニウム人との戦争。敵将ポンティウスに敗北。「カウディウムの屈辱」
ローマ建国はBC753。アエネアスの血をひくロムルス。王政の都市国家。千数百のポリスのうちの一つ。トスカーナ(エトルリア人)の王が治める七代目の時に、ルクレティアの凌辱により、王を追放、共和制に。ローマが共和制を樹立したのは、アテネの民主制より一年前の前509。
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