桜庭一樹『少女を埋める』を読むトピックです。
各々の読みを共有し、互いの読みを深めましょう!
テキストの3分の2は下記サイトよりご覧いただけます。以降につきましては、雑誌『文學界』9月号に掲載されています。その後を予想するも良し、全体を通して読み解くも良し!ぜひお気軽にご参加ください。https://note.com/sakuraba_kazuki/n/ne3b7aa29cd58
家制度は法律上はとっくに廃止されてるのに、まだ「嫁にもらう」だの「嫁にいく」だの、夫のことを「主人」「旦那」だの、差別的な言葉が残っています。そういうもろもろに苦しむ女たちに向けた、桜庭さんの応援かも。鴻巣さんの書評は、桜庭さんにとって、点と点の間に強引に引かれた線を想起させ、母と同様の拒絶反応が起きてしまったような気がします。あの母親と向き合うと、相当のHPを持っていかれる…。
図書館で予約していた「文學界」が届き、全文を読みました。桜庭さんが、なぜ一書評にあれほどこだわったのか、わかるような気がしました。後半にこういう表現があります「正論は理不尽なことから救ってくれる」。昔、暮らしていた鳥取県は旧弊な家父長制社会の世界。桜庭さんは、正論で戦っていた。でも常に戦うのは不可能。そこで、生きるための仮面を身に着けた。仮面の1つが「弱い女」で、それを嗅ぎつけたタクシー運転手につけこまれる。正論と仮面の間の矛盾に苦しみつつ、当時少女だった桜庭さんは埋められたままにならないぞ!と叫ぶ。
itotakeさん
1)の問い、どうして書いたのかということと、鴻巣さんとのやり取りが分かるような気がしました。桜木紫乃さんの言葉を桜庭さんになぞるなら、小説を書いたのは自分や母親が正しく傷つくため。鴻巣さんの受け取り方は正しくないから訂正を求めた。正しく傷つくのなら地域で何を言われても全世界に何を言われても甘んじて受けるという意気込みを感じました。そこまでじゃないかな。
現代ビジネスの論考、読みました。残りの1/3、想像以上に濃い内容のようでびっくりでした。一筋縄ではいかない母子関係…。他の作家の話も興味深い。桜木紫乃が「『書く』と『傷つく』はおそらく同義語だろう」と言っていた意味について、改めて考えています。
「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”
私小説をめぐるトラブル最新事例
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87173?imp=0
正論への執着、という視点は慧眼。
ピリオドさん
桜庭さんの発言は度を越していたと思います。そこまで取り乱していたことも含め、この作品の怖さだと感じます。この小説内の一連のエピソードに対し、桜庭さんは客観的になれていない。フィクションにするということさえできなかった。それだけに生々しい迫力を持っている。
遅くなりました。
1) 謎です。というのも今回鴻巣氏に対しての発言は大変無責任であり、小説から生じた責任は全て作者が負うべきものであり、体よく鴻巣氏に責任を押し付けている。起こりえる事態を想定して人に迷惑がかからないような人選をすべきだったし、あるいは完全にフィクションにしてしまえばよかった。
2) おそらくしていないかと。虐待まで行かなくても虐めたとはなるので別れの際にやや罪悪感があったためにその言葉になったのではないかと思います。
珈琲歌人さん、どのように読んでも感じても、作品の味わい方ですよ。感想に書ききれませんでしたが、書き手の視点が上手に使われている作品とも思いました。地元VSよそ者、そして昔VS現代。鳥取から自分を切り離した桜庭さんは、故郷を内側からも外側からも見ることのできる視点を持ちました。その視点が、内と外という場所性だけでなく、今と昔という時間性も帯びています。地元の人達や母との会話から感じる東京との差、現代性を持つ描写(ブロガーやライン等)と、いにしえを感じさせる言葉(人柱や狐が化かす等)。作品の奥行きを感じます。
何を言いたいのか理解できない:桜庭さん50歳の今年の作品です。私は同年代です。同年代女性ならもっと理解できるのかもしれないと思います。
珈琲歌人さんはこれからどんどん理解できるようになるお年なのではないでしょうか。私は珈琲歌人さんの年代の方がどう読まれるか感想が聞けてうれしかったです。
珈琲歌人さん
嫌いだからいじめていたのか?:夫に対する母の愛と憎しみからではないでしょうか。note公開以降の文章の内容かもしれませんが、母は夫やその親族にコンプレックスを持っていました。
行動すべてに意味があるわけではないのか:おそらくかなり著者の実体験に基づいた文章のようです。人柱・若い運転手・骨壺などを選んで書いたのは著者なので、意味を持たせようとして書いたのだと思います。人柱も若い運転手も被害的に感じるエピソードです。
今回の騒動は、影響力のある人が影響力のある大きな媒体で、やや特殊な個人的な読みを披露したのが、桜庭さんの逆鱗に触れてしまったという気がします。読書会などの内輪で、あーだこーだいうのなら、鴻巣さんの読みは、「なるほどねえ、そういう可能性もあるなあ」と思います。私小説「夫のちんぽが入らない」でも、「夫のが入らなくて、他の男だと入る?そんなの嘘だ!インチキだ!」と怒る人がいます。これは私小説をノンフィクションと勘違いした意見に感じます。自伝的小説を自伝と勘違いする人もいるので、作者は慎重にならざるを得なかった。
記事見ました。読者の数だけ「ストーリー」なら、国語で小説の解釈問題は、何を書いても全員正解(論理が破綻してなければ)。鴻巣さんには自身の辛い介護体験があるので個人的にそう読むのはいいのですが、書評の場では問題を含みそうです。私の理解も作者同様で、
「記憶の中の母は、わたしから見ると、家庭という密室で怒りの発作を抱えており、嵐になるたび、父はこらえていた」→
「お父さん、いっぱい虐めたね」でした。
自由解釈なら、家父長制を傘に父が誘発したイジメという見方すら可能。すると、いじめの主客がひっくり返ってしまう。
朝日新聞「文芸時評」の記述めぐり議論 桜庭一樹さん、鴻巣友季子さん
2021年9月7日 5時00分
https://www.asahi.com/articles/DA3S15035360.html
鴻巣さん、どうしちゃったんだろう?『母の父への「虐(いじ)め」については複数の読み方が可能で、私の評でも解釈の提示にとどめたつもりだ。』「虐待した」と断定してたからなぁ最初。
ヨックムドさん
鳥取の人々は私には優しかったです。ひどいことを言われた記憶が全くないのです。ちなみに鳥取の天気/空気の描写は、本当にその通り。山陽、山陰という命名のまま。岡山に出ると、からっと雰囲気が明るくなる感じ。
鴻巣さんがこの小説が好きだとしたら、あのやり取りはトラウマ級のような。だって作者からああもひどい拒絶の言葉…。
「恩讐の…」記事、読んでくださったんですね。壮絶な業の末に、あれ以上の言葉はないと思います。この小説にも、とても印象的に使われていました。残り1/3も機会を作って読んでみます。
itotakeさん
米子に住んでいらしたのですね。小説の米子観は納得されますか?ひどいことをさらっと言うのは鳥取っぽいですか?
俗ですが、「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」…。何十年という体験は言葉で語れず、当事者しか分からない底なし沼。
「恩讐の彼方にありがとう」のネット記事を読みました。香川さんの思いと決断は想像を絶します。
itotakeさん
「ケア労働と個人」にはそぐわない小説だと思います。ひとつのテーマに収束しきれない小説、もしくはその途上の小説。鴻巣さんはこの小説が好きで何とか取り上げたかったんだろうな。
itotakeさんがおっしゃるように、この小説は事実と近い形で書くことで体験を昇華させるためのものだと思いました。母との関係、母と祖母との関係…という母方家系問題。鳥取の土地柄。男尊女卑。個と集団。弱い者いじめ。このようなテーマが提出されている。東京で小説家を営みながら、東京の文化を享受しながら、這い寄ってくるそれらテーマを追い払うために、自分に与えられた異能である執筆を行使する。
全文を読み終えました。
1)は未だに分かりません。父の死と母との関係性を振り返るためにこの文章を書いてきたと言うような記述がありました。これほどセンシティブな内容ならばどうしてフィクションをまぶさなかったのか、不思議です。これを母が読んだ時の反応が怖い。
2)虐待とは言えない程度で、虐めていたと思います。これは介護にはあり得ることだと思います。介護じゃなくても家族ではいじめあっているでしょう。
訂正後の鴻巣さんの文芸時評が公開されていました。
(文芸時評)ケア労働と個人 揺れや逸脱、緩やかさが包む 鴻巣友季子https://www.asahi.com/articles/DA3S15020752.html
作品の感想(テキスト2/3のみ):
親近感を持てた。私もかつて米子に住み、冬子と同じく一人っ子の父親っ子で、冬子よりも20年ほど早く父を看取った。テーマは母と娘の確執。「毒親」という言葉でくくらず、あえて一つ一つあぶり出しのように浮き上がらせる。遺体を家におきたくないと言い切る母。骨壺を持ち帰りたくない母。父の亡骸をひとりにすることに抵抗を感じない母。その母が最後に「いっぱい虐めたね。ごめんなさいね」と罪の告白。夫婦の沼の深さを突きつけられ万感の思いの娘。市川猿之助「恩讐の彼方にありがとう」を思い出した。
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