2024年6月3日13:30轟直人の44レビューのナイス合計が38000を超えました。\(^o^)/ つたないレビューにナイスしてくださったみなさんに深く感謝いたします。ありがとうございました。m(__)m
苦や死に通じる9や4がはいった39000、40000は望みません。読んだ人の多い作品を選んでレビューを投稿すれば50000を目指すことは可能でしょうが目指すつもりはありません。なぜなら・・・すでに当初の志をはるかに超えているからです。
当初の志とは・・・
轟直人の退職を機に江戸川乱歩にとっての「貼雑年譜」向田邦子にとっての「父の詫び状」芥川龍之介にとっての「或阿呆の一生」太宰治にとっての「人間失格」ポジションのメモリアルプロフィール、メモリアルレビューを残したい!という志です。
轟直人のプロフィールと44レビューを読めば轟直人のひととなりが理解できるようなものを仕上げることを志したのです。そしてその志は果たせたと思っています。
どころか!そのプロフィールとレビューに対して・・・たった44レビューにすぎないのに・・・38000を超えるナイスをいただけたのですから当初の志をはるかに超える成果をあげられた\(^o^)/!と思うのです。
轟直人は「夢」という言葉は嫌いです。「夢」といった時点ですでにそこには「現実ではないもの」という諦めがはいってしまっている気がするからです。轟直人は「志」という言葉が好きです。「こころがさししめす方向→そこをめざして進みたい方向」というポジティブ志向が感じられるからです。
「志」の字源は・・・藤堂明保説では上は「止=進み行く足」で「心」を合わせて「心が目標を目指して進んでいくこと」、白川静説では上は「之=行く」で「心」を合わせて「心がある方向を目指して行くこと」ですね。
「夢」の字源は・・・藤堂明保説では「赤くただれてよく見えない目」+「夕」で「夜のやみにおおわれて物が見えないこと→目をふさいで眠り現実の世界を見ていないこと」、白川静説では「巫女」+「夕」で「巫女が操作する霊の作用で夕の睡眠中にあらわれるもの」ですね。
そして轟直人は「いったことは必ず果たす=果たせないと思ったことは口にしない」主義なのです。
そして轟直人は退職後の読書メーター以前に退職前に「いったこと(=志)を必ず果たす」どころではなく「いったこと(=志)以上の成果を挙げる」大きな体験をすでにしているのです!
轟直人が小学生のとき一番ほしい!と思ったものは?
先生がお持ちの赤い字で答が書いてある教科書でした!
なぜか?
あれがあれば自分も教えることができるから!です。
つまり轟直人は小学生のうちから「教師」を志していたのです。
中学3年の意見文発表で「私が大人になったら生徒が渇望するような学校づくりをめざす一教師として生きていきたい」と級友たちの前で将来の志を宣言し
高校では国語だけは学年で一番で文学部国文科を志すと表明したら「文学部なんてろくな就職先ないぞ。」と言われて「就職するために進学するんじゃないだろう!自分の専門を極めるために進学するんだろう!」と思ったものでした。
大学の特に専門課程はいわば「毎時間が国語」なわけですから毎時間を存分に楽しんでオール優で卒業して念願だった公立中学の国語教師になる志を果たしたわけです。
そして小学生のときに一番ほしかった赤い字で答を書いてある教科書=教師用指導書を手にしたわけですが・・・
中学1年の国語の巻頭を飾るのは谷川俊太郎の「朝のリレー」です。
カムチャツカの若者がきりんの夢を見ているとき
メキシコの少女は朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女がほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は柱頭を染める朝陽にウインクする
このくだりに対する指導書の説明は・・・
「なぜカムチャツカとメキシコ」「ニューヨークとローマ」「でなければならないか。その必然性は特にないように思われる。」「一見、関連性のないバラバラなものを寄せ集めただっけのルーズな表現内容のように見えて、実はこの詩の場合は、かえってそこが、あどけないほどのびのびした自由な想像力のふくらみを刺激する力となっている。だから読み手は、自分なりの地名のいくつかを挙げて、この部分を入れ換えたり、書き加えたりしながら、この詩を自分のものにしてみたいような気持ちに誘われるのである。」
・・・です。
はぁ~~~~~~~~~~??????????
轟直人が小学生のとき一番ほしかった教師用指導書とはこの程度のものだったのですね!(>_<)
「Aの若者が寝ているときBの少女は起きている」
「Cの少女が寝ているときDの少年は起きている」
というのは
「男と女」
「寝ていると起きている=夜と朝」
という
反対のものを並べた「対句」でしょ~が!
だったらAとB、CとDの関係も「関連性のないバラバラのもの」ではなく
「反対」のもののはずでしょ~が!
どこが反対か?
それぞれの国を思い浮かべたらすぐに分かることです!
カムチャツカは?北海道より北なのだから?寒い都市!
メキシコは?赤道の近くなのだから?暑い都市!
ニューヨークといえば?摩天楼!新しい都市!
ローマといえば?古代遺跡!古い都市!
寒いと暑い!新しいと古い!の対比でしょ~が!
しかも!住んでいる場所は正反対でも4人の若者に共通しているのは?
ここで分かりやすいヒントを提示します。
指導書には自分なりの想像力を広げて自分なりの地名を挙げて入れ換えたり書き加えたりすることを示唆しているけれどではこうしたらどうでしょう?
東京の少女が防空壕で寝ているとき
ブラジルの少年は銃を磨いている
自分なりに自由に想像することが許される詩なのならこれでもいいことになりますが
いいと思いますか?
カムチャツカとメキシコとニューヨークとローマの若者に共通しているのは?
土地の性質は反対でも全員が「平和」「楽しい」イメージですよね。
つまり「朝のリレー」は「誰が」「何を」リレーする詩ですか?
「若者が」「平和を」リレーすることを願った詩ですよね!
ここで轟直人得意のうけないギャグ!
ニューヨークの少女がほほえんでいたのはなぜでしょうね?
楽しい夢を見ていたんでしょうね。
どんな夢だと思いますか?
だってニューヨークなんですから(目をとじて首のわきで両こぶしをにぎって)
足元から首まですっぽりはいってぬくぬくぬくぬく
あったか~~~~~い
お・・・ふ・・・(ここで目をあけて左右をみまわして)とん!?」
蛇足ですが説明しておきますね。
ニューヨークで入浴~のつもりでいたら
おふろじゃなくっておふとんだった!
というオチですよw
轟直人は思ったのです。
指導書通りの授業をやって授業を好きにさせられるなら日本中の児童が生徒が授業を好きになっているはずなのに現実は「授業はつまらないのがあたりまえ」!
だったら指導書を超える工夫をしなかったら授業を好きにさせることはできない!
教科書は3年に1回改訂され地区ごとに採択会議が行われて使用教科書が決定します。
轟直人は8月すぎに次年度の教科書が決まると早速入手して9月から3月までの7か月で1年2年3年の教科書の夏休み前までの指導細案は考えておいたものです。
指導書入手前ですから完全に轟直人オリジナルでの授業細案になるわけです。
4月になって指導書が届くと毎度毎度学習材研究の甘さに唖然とさせられます。
おまけに!
公立中学校の新年度の始業式まで1週間しかないのに会議に次ぐ会議のあとの学校の学年の教科の部活動のPTAの歓迎会の連続で「授業の準備なんてさせるものか!」というのが当たり前の体制によって「授業の準備は職員室から教室までの廊下でやるのがあたりまえ」になってしまっている教員世界の常識は轟直人の採用から退職まで40年近く改められることはありませんでした。指導書まんまの授業をほぼほぼぶっつけ本番でやるのがあたりまえの状況で生徒をひきつける魅力的な授業ができるわけがありません。
轟直人の退職寸前にコロナがはやって体育祭も文化祭も中止になって「生徒がかわいそう」と騒がれましたが・・・いやいやいやいやいや・・・行事がなくなると生徒がかわいそうと思われるのは授業だけだったら学校は面白くないのがあたりまえと思われているからです。本当にかわいそうなのは・・・毎日毎日つまらないのがあたりまえの授業をうけさせられていることですから~!残念!
轟直人にとって教員社会の「常識」は「正しいこと」ではありません。「間違っているかもしれないけれどみんながそうしているから従うもの」でしかありません。轟直人は「廊下で教材研究」の常識を覆して「半年前から教材研究」を決行してきました。その結果は・・・
学年崩壊して保護者に巡回依頼するはめになったとき保護者が感想で「全体的に感じたことは、魅力のない授業はやかましい。轟先生の国語の授業を参観させていただき、たいへん面白かった。生徒も無駄話がなく、授業によくついていっていると思った。」と全教師中ただ1人だけ名前をあげて褒められることになったのです。
公立中学校教員は公務員ですから授業を熱心にやろうが熱心にやらなかろうが給料はかわりません。だからといって生徒に(生徒だけでなく世間の全ての人人に)「授業はつまらないのがあたりまえ」と思わせる「つまらない授業」をよくまああたりまえにできるものです。公務員でなかったらまずいのがあたりまえの食堂だのほしいものを売っていない店なんてすぐにつぶれます。そもそもつまらないのがあたりまえの授業をやる教師は何がしたくて教師になったのでしょうか?公務員なら生活が安定しているからですか?つまらない授業をつづけて充実感なんて感じますか?轟直人は40年近い教員生活の毎日毎日生徒に発見の驚きを与えるのが楽しくて楽しくて燃えるような充実感を感じてきましたよ。結果毎年毎年生徒からも「轟先生のおかげで国語が大好きになりました!」と言ってもらえたのです。
轟直人は
「教師用指導書を手に授業をする教師になりたい!」という小学校のときの志を超えて
「教師用指導書を超える工夫をして生徒を国語好きにさせる教師になる!」ことを実現したのです!
さて。
轟直人が退職して5年がたちいよいよ年金受給が始まります。
それを記念して轟直人の誕生日に「中学国語神業授業Ⅰ」を刊行することにしました。
Ⅰとしたのは中学1年1学期中間試験範囲までの内容だからです。
Ⅱ、Ⅲ以降も刊行していきたいと思います。
国会図書館にも1冊寄贈予定です。
もちろんアカウント名轟直人名義ではなく本名での刊行です。
一般販売はせず地元の中学校や元教え子に配布予定です。
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