最期なんで念のため
Odysseus=Ulyssesなのだから不在の父の物語なのだが
ジョイスは父の流浪を現代化したのに対し
デウィットは父の帰還ではなく子が父を探訪する話へと転換させ
さらに父の仮説性(あるいは空虚さ、無益さ、不可能性)を
父の分割および家庭の無機能性を露わにすることによって証明した
もっと恐ろしいことだが
多言語、多メディア(映画、音楽、絵画、ジャーナリズム…)の波の中で
文学作品という参照的構成物の言語矛盾的な無所属化をも成し遂げている
見事な超克と言わねばなるまい
Red Devlin
彼の自死に良心を見ていいものなのかは疑問だ
が、グレアム・グリーンの恐怖省をわざわざ出して来るまでもなく
死とは本当は人間の領域なのかもしれない
神の不在ではなく、人間であることの帰結としての死
二人でF&Cをたべるロンドン
死の床に横たわるRDの手に触れるL
投函される手紙
母シビラの元にかえるのだ
四人目はさすらいの贋外交官ギャンブラー
一番男臭い
けれどももちろん父親ではない
グアテマラでの農民救済話があるのだから七人の侍好きかと思いきや
オクスフォード時代にブリッジの大会があるのに無理して付き合って観にいって
何も出来なかったんでくだらん映画だったという粗さもいいんだんあ
こうやってそれぞれのキャラを楽しんでいくしかとりあえずはないのか
Lの反応、受け答えはやや調子が落ちてきたといったほうがいいかな
ノーベル賞受賞者のジョージ・ソラブジは
オーストラリアの女性との不倫を勝手に話し始める
Lのフーリエ解析があまりにも素晴らしくて
自分の息子だとしばし思い込むのだ
だがこの頭はキレるが現実主義者で研究のために女を捨てる
打算的な人間は自分の父親ではない
そもそもシビラがロバート・ドーナットに似てると言っていたんだもの
が、最後の乱れた髪の様子では似ているんだなあ
ウインチェスター行はどうなるのだろうか
混沌としてきたなあ
インド系の数学者とアマゾンの数学小僧
ガウスの計算方式(1から500でもいや)
ロマンチックといえばロマンチックだが
まあ、すごいとこへと話は広がっていくのね
とはいえ父親探しという枠はあるのだけれど
荒野の七人をバカにするシビラ
本家にないもの
ふむふむ
チャールズ・ブロンソンは東洋的不可知を醸し出すかあ
まあ、そんなことよりつに父ちゃん判明
val peters
偶然にもアンブラーを読んでいて
重要な名前が偶然にも重なったのであった
11歳の春
ブラームスのバラード第2曲
おはようございます、はiが余計
まあしかし、このくらいのミスは
日本人が他言語引用していたら星の数ほどあるのだろうなあ
画面には出て来ない黒澤をも父親ロールモデルに加える
Lの父親質問が頻繁になってシビラも大変
六歳になったんだものなあ(もうすぐ学校)
お、姿三四郎
難しい漢字多しw
山本のコンサートの異常な長さは
チャドでの経験の誠実な音楽的な反映なのだけれども
最後まで聞いていてくれたのは25人
でもシビラは感動の涙を流す
おい、Lはどこへ行った!
先に帰ってるって言ってもだいじょうぶかよ、おい
ふー、良かったね、シビラ
英語の小説にボコッと五十音表がでてくると
さすがに違和感が凄い
ほんと、まったく違う言語システムなんだなあ
チャドへ行ってきたかつての天才ピアニスト山本ってのがまた奇妙
どこへどう話が続くのやら…
リンダ(語り手の母)がいろんな楽器をもって
フィラデルフィアからジュリアードに乗り込んでいく
ホームリーな蝶ネクタイの人がなんだか謎で面白い
いちおう演奏を聴いてくれるんだもの
ピアノ以外は箸にも棒にもかからなかかったけど
手首をリラックスさせるのって基本なんだなあ
わたしと息子Lとのさりげない交情
仕事しなきゃだけど質問攻めするに決まっているL
セヴン侍は勝四郎も含まれる
枕に顔を埋めて泣くL
タイプするわたし
ホットチョコレート
ヘブライ語の辞書、文法書
利吉の燃えるような目が寒い二階の部屋のスクリーンに映っている
リベラ―チェじゃないリベラーチェ
こっちはライター
そういえばアーヴィングのA Prayer for Owen Meanyでも言及されてたな
退屈かって?
んなことより金だよ金
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