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聖書解釈としての詩歌と修辞―シリア教父エフライムとギリシア教父クリュソストモス

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Sora
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本書はシリア教父のエフライムとギリシャ教父のヨアンネス・クリュソストモスを取り上げており、文化と歴史的背景及び神学の特徴をそれぞれ説明した後に両者を比較することで、両者の違いをも明らかにすることを試みている。同じアンティオキア出身でも、エフライムはセム的な神解釈だが、ヨアンネス・クリュソストモスはギリシャ的神解釈をしており、それぞれ解釈に違いがある。また、本書では、エフライムの詩も一部翻訳しているので、エフライムの詩の抄訳を読むこともできる。
Sora

エフライムによると、神がありのままに語っても人間は理解できないので、神は人間が理解できる象徴を通して自分を人間に表した(神の下降)。『見えないものを見えるものによって示そうとされて、隠されたものを明らかなものに表された』。つまり、「エフライムは自然を聖書と共に神知識の源泉と見做している」。「御子は不可視的な像(神の像)と可視的な像(人間の像)を合わせ持ち、あらゆるものの中にあった像を完成した。人間も……御子を通して、神の像になる」。

09/03 22:58
Sora

一方、ヨアンネス・クリュソストモスによると、神は『人々が聞くことができる仕方で御自ら人々に語っておられた』のに、全ての人間が『ひどい悪徳へと破船してしまった』ため、神と語り合う資格を失った。そのため神は聖書を通して、「聞き手の受容度に応じて語った」。そして御子の受肉と徳の成熟によって神の像としての人間が完成するということである。

09/03 22:59
0255文字
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