形式:単行本
出版社:教文館
エフライムによると、神がありのままに語っても人間は理解できないので、神は人間が理解できる象徴を通して自分を人間に表した(神の下降)。『見えないものを見えるものによって示そうとされて、隠されたものを明らかなものに表された』。つまり、「エフライムは自然を聖書と共に神知識の源泉と見做している」。「御子は不可視的な像(神の像)と可視的な像(人間の像)を合わせ持ち、あらゆるものの中にあった像を完成した。人間も……御子を通して、神の像になる」。
一方、ヨアンネス・クリュソストモスによると、神は『人々が聞くことができる仕方で御自ら人々に語っておられた』のに、全ての人間が『ひどい悪徳へと破船してしまった』ため、神と語り合う資格を失った。そのため神は聖書を通して、「聞き手の受容度に応じて語った」。そして御子の受肉と徳の成熟によって神の像としての人間が完成するということである。
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エフライムによると、神がありのままに語っても人間は理解できないので、神は人間が理解できる象徴を通して自分を人間に表した(神の下降)。『見えないものを見えるものによって示そうとされて、隠されたものを明らかなものに表された』。つまり、「エフライムは自然を聖書と共に神知識の源泉と見做している」。「御子は不可視的な像(神の像)と可視的な像(人間の像)を合わせ持ち、あらゆるものの中にあった像を完成した。人間も……御子を通して、神の像になる」。
一方、ヨアンネス・クリュソストモスによると、神は『人々が聞くことができる仕方で御自ら人々に語っておられた』のに、全ての人間が『ひどい悪徳へと破船してしまった』ため、神と語り合う資格を失った。そのため神は聖書を通して、「聞き手の受容度に応じて語った」。そして御子の受肉と徳の成熟によって神の像としての人間が完成するということである。