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国葬の成立 明治国家と「功臣」の死

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史縁
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明治時代、天皇の特志により国費を投じて行われた5人の葬式の実例と変遷を踏まえ、家主催の葬式から国主催=国葬として成立するまでを紹介。国民をまとめる場という機能が重視されていたが、本の中では民衆の受け取り方が今後の課題とされている。 翻って、出版時には戦後の国葬は吉田茂のみだったが、その後安倍元首相が国葬にされたとき、反対の意見も多かったのは記憶に新しい。国民をまとめる場としての機能、個人の死を国家が格付けすることの意味が問われる。
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nobuharuobinata
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形式的意味では国家の儀式として国費でまかなわれる葬儀のことを指し、実質的意味では、本書に依拠するなら、政府が主催して国民が「国家の功臣」の不幸を歎くための儀式のことであろう。そこには何らかの政治的意図が込められている。本書は、明治初期における政府要人の葬儀から説き起こし、準国葬と位置づける大久保利通の葬儀、わが国最初の国葬である岩倉具視の葬儀、そして、国葬が完成する三条実美の葬儀を中心に、日本における国葬の成立過程を日本史研究者が著したもの。
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amiura
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公の業務が停止し、娯楽も禁止。追悼を強制する国葬は現代社会に合わないのでは。個人的には静寛院宮の国葬が興味深い。追悼対象になるのは国に貢献した人々だから基本的に男性なのだけれど、皇族ならば女性でも可能性がある。特に、皇族かつ徳川家とも繋がりがあるという特殊な立場は降嫁した女性ならではのものであり、ジェンダー史の観点から考察し甲斐があるテーマとなりそう。
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よろずやでんじろう
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国葬は天皇が死者の死を悼んでいることを表明する行為で、「恩賜」の一形態だった。
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くまパワー
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本書は明治以降の日本において政府が主導する公葬の成立と展開を注目し、功臣の死を私から公への変遷を検討した。天皇の恩賜から政府要人の死に積極的に関与し、基準を持って死の差別化を意味し、当時官僚の暗殺に対し、国葬は反政府勢力に対し強い政治的意味がある。実質的な公葬大久保のを皮切りに、国葬の初例となった岩倉のを経て、三条の葬儀によって国葬を完成した。そして功臣の功績を讃えた神道碑の分析もあり、史料を基いて歴史性が高いし、極めて内容が豊富な一冊だ。何が今日これを読んで極めてアイロニーな意味を持った。
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スターライト
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「国葬」が大きくクローズアップされる中、それをテーマにした本はないかと探したところで本書に着手。明治初年を起点として国葬が完成するまでの実態を実証的にまとめたのが本書。私的行為である葬儀が公的な行為である「国葬」は、故人を悼むというより天皇の命令によって実施されることで生涯を知らない人々にもその事績を強く印象付けるものとなる。葬儀以外にも「恩賜」や「贈位」「贈官」、神道碑の建立や事績をまとめた記録の出版などで人々の記憶に留める様々な制度が確立されていく様子がうかがえる。国葬令廃止後の状況も知りたい。
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katashin86
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衝撃的事件のあとの「国葬」を前に読了。死を公に顕彰するとはどういうことなのか考えるよすがとなる一冊。
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ゆ
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元総理の国葬を巡って様々な議論が国民の中で交わされるのを見て、国葬というのはどういう意味を持ち、どのような過程で実行されるのか等が知りたくなって図書館で借りてみました。言い回しは難しいものの、日本における国葬が大久保利通の暗殺から形成され始め、三条実美で成立したという一連の流れについてわかりやすく述べられていると思います。
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ふう
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読み始めた途端、岸元防衛大臣のも下で7月の安倍元総理の家族葬に陸自の儀仗隊が参列し「社会通念上許される」との説明があったと報じられた。しかし戦後初めて行われたことに社会通念なんてあるのだろうか。本書では広沢真臣や大久保利通暗殺時に、天皇から多額の下賜金、勅使、贈位・贈官、儀仗兵の下賜が行われたという。葬儀を装飾することで暗殺を企てた反政府勢力を否定しようとする政治的メッセージを発信した、と分析している。大久保の葬儀費用の内訳も菓子折りやら人力車代まで記載されて面白いが、実際にはその3倍かと推定されている。
ふう

きょうさん、全くその通り。天皇主権のもとでの国葬や儀仗隊と、国民主権の今とを同列に論じてはならないと、強く思います。

08/31 20:54
ふう

そもそも自衛隊は戦後作られたわけだから、自衛隊史上初⁉️ しかも家族葬でだから、来月はどうなるの?

08/31 23:13
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おさむ
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ネタバレ暗殺された安倍元首相の国葬を巡り賛否両論の論争が巻き起こる中、新聞各紙で紹介されていた本著。日本における国葬は明治時代、大久保利通に端を発し、岩倉具視、三条実美で確立された。国家に偉功ある「功臣」として葬られ、その功績を国家全体で共有し、国民の一体感を生むための一大イベントだ。かつては一般の目から隔離されたものだったのを、諸外国の教えを請いながら、次第に「見せる葬儀」へと変わった。明治から昭和にかけて、日本の近代国家化の一助になったともいえるが、果たして現代社会に必要なのだろうかというもやもや感が残った。
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がらくたどん
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9月までに読みたかった本。他市町村からの相互貸借。ありがたい。「国葬」的な言葉を聞いたのは吉田茂氏葬儀のあった小学生時以来。実家が半蔵門に近かったから「ドン」の音しか記憶がない。「国葬」って何だ?国葬令なる法的根拠があったのは1926年から47年の大正末から敗戦直後の20年間ほど。それ以前の法令前夜。明治政府成立とともに主権は将軍家から天皇家に移った。だから天皇家の葬儀は国葬。本書は明治政府がどんなふうに臣民の中の特別な誰かを天皇家に準じる形で葬送するルートを作ったかを記録文書中心に紐解く。→
がらくたどん

法令までのジャンプ:そしてさらに10年ほど後、三条実美が流行性感冒が悪化し死去に到る。長患いではないが、何をすればよいかは分かっていたのだろう。明治天皇はちゃんとお見舞いにも来ている。ご遺族の死亡届提出から間を置くことなく天皇から「国葬せよ」との勅令が下る。こうした「裁可文書」の作成は初めて。つまり国葬を正当な国の判断とする証拠書類がここで残されたわけだ。官報に「国葬」の表記が正式名称として使われ、全国規模での弔詞献納が展開され、三条の事蹟が編纂され、政治と縁の薄い一般臣民が弔意を共有する形式が作られた。

08/13 16:22
がらくたどん

あまりの面白さに一気読みしてしまった。亡くなった方を悼む気持ちも悼む方法も夫々で、故人との距離も思い入れの温度・濃度も夫々と思います。夫々が自分の、自分だけの想いで偲ぶのが、たぶん人を送る根っこなのではと思いました。

08/13 16:28
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ちり
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“明治新政府は、発足当初から政府要人の死に積極的に関与するようになってゆく。それは、天皇の名による「恩賜」となって具現化した/これらは、天皇と死者あるいはその遺族間だけの限定されたやりとりではなく、国家に功績があったとされる人物の死を天皇が悼んでいることを表明する行為であり、『太政官日誌』や『官報』・新聞などを通じて国内に広く発信された/それは、すなわち政府による死者の差別化を意味するものである”
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belier
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国葬は岩倉具視の葬儀から始まったが、その前に暗殺された大久保利通の葬儀が原型となった。国葬とは国家の「功臣」を顕彰し、天皇と民衆がその不幸を嘆く空間で、「功臣を悼む国家」を演出するために行われた。制度設計時には外国の制度も参考にした。実は江戸時代の将軍や天皇等の葬儀は、民衆から隔離された空間で行われたが、明治時代から徐々に見せるようになり、やがて多数の人々を巻き込んだ形態の葬儀となった。国葬は国民としての一体感を生むためのイベントとなり、その性質は戦中の山本五十六、戦後にも吉田茂の葬儀にまで継承された。…
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onepei
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おもしろいテーマだと思った。本筋とはずれるが、戦後の吉田茂も国葬なんだ。
曲月斎

「朝鮮王公族」(中公新書)で、原敬が1913年に「国葬は薩長の旧藩主の外は三条(実美)、岩倉(具視)、伊藤(博文)のみなり。其他は皇族に限れり」と発言した話が出てきました。ご参考まで。

02/07 16:47
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