形式:単行本
出版社:亜紀書房
しかし著者はあえて、森が考えると我々が考えるのではなく、まさに森が考えると主張する。言語を地域化するということはつまり、人間の思考も地域化するということだ。実際、本書に書かれているアヴィラの人々と著者が非人間とかかわりながら過ごす中で、非人間とそれらの自己の複合である森とがやはり人間的なものからはみ出していることが体験されている以上、少なくとも森が考えるということにイメージを馳せなければ、生きるという今からはみ出す行為は続いていかないだろう。
人間がマウントをとったり階層性を形成したり群れたりすることはあまりに人間的であると同時に、他の生物も(文化や道徳の色を抜いた形で)行う事柄であり、従って人間の外へも繋がっている。私とあなたは区別であると同時に、私と同等のあなたということでもある。区別でき同等でもある自己の座を、種を超え時には生死を超えて私とあなたはもっている。著者が違いから始めることの不毛さを説くのは、違いを強調することがかき消してしまう私とあなたの相似性と増幅の形式があるからだろう。おそらく形式だけが人間、非人間を超えることができる。
レヴィ=ストロースは西洋/野生の対置から通底した構造を見出した。本書では、人間/実在の対置によって"人間的なるものを超えた人類学"への拡張を試みている。
個人的には、第5章のアマゾニアの水系とゴム経済の関係にあらわれる河川の形式の話と、第6章の「ルナの自己は常に既にルナであり、プーマであり、とりわけ常に既に、主つまりアムである」という話がおもしろかった。
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しかし著者はあえて、森が考えると我々が考えるのではなく、まさに森が考えると主張する。言語を地域化するということはつまり、人間の思考も地域化するということだ。実際、本書に書かれているアヴィラの人々と著者が非人間とかかわりながら過ごす中で、非人間とそれらの自己の複合である森とがやはり人間的なものからはみ出していることが体験されている以上、少なくとも森が考えるということにイメージを馳せなければ、生きるという今からはみ出す行為は続いていかないだろう。
人間がマウントをとったり階層性を形成したり群れたりすることはあまりに人間的であると同時に、他の生物も(文化や道徳の色を抜いた形で)行う事柄であり、従って人間の外へも繋がっている。私とあなたは区別であると同時に、私と同等のあなたということでもある。区別でき同等でもある自己の座を、種を超え時には生死を超えて私とあなたはもっている。著者が違いから始めることの不毛さを説くのは、違いを強調することがかき消してしまう私とあなたの相似性と増幅の形式があるからだろう。おそらく形式だけが人間、非人間を超えることができる。