形式:単行本
出版社:KADOKAWA/角川書店
→柳田國男はそのような側面をスルーし、遠野を山深い「異界」として描き、世間にはそちらのイメージが定着することとなった。南方熊楠に見せていれば…と悔しがる荒俣宏。 対談相手の学芸員さんが山形県出身とのことで、最上三十三観音、特に第一番若松寺などで見られるムサカリ絵馬との違いからも供養絵額に見られる遠野の信仰の独自性(遠野には地蔵信仰がほとんどないp.203、近年まで火葬ではなく土葬p.204)を紐解いていて興味深い。
ちなみに荒俣氏は2010年6月に刊行された『荒俣宏・高橋克彦の岩手ふしぎ旅』の元となった旅(2009年10月〜12月)で供養絵額を知り、翌年2010年3月刊の角川「怪」vol.0029にてこの対談を行なっている(『岩手ふしぎ旅』の発売前に!)。その後2016年『荒俣宏妖怪探偵団:ニッポン見聞録』でもまた善明寺を訪れているようだ。
暗闇を突き抜けて、新しい作品に期待しています!💪(*^-^*)v
ありがとうございます🎵
タイポばかりですみません。Ipadの勝手に変換する仕様に慣れていません。
p.273 そういう意味からすると、近代画家はみんな健全になって、ダッドのような殺人事件などに走らずに済んだともいえます。だから、モダンアートはそういう本当に重かったものを、文字通り「アート」という軽さにすくい上げた。私は美術の悪魔祓いだったと思います。ピカソなどを筆頭とする。アートを軽い狂気、軽い深刻さ、軽い前衛でファッションに大成させた。
p.24 また悪いことに、現代のモダンアートはとても貪欲で見境がなく、こうした野生の想像力や表現力をも積極的に吸収してしまい、現代美術のための再生エネルギーにするのである。
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→柳田國男はそのような側面をスルーし、遠野を山深い「異界」として描き、世間にはそちらのイメージが定着することとなった。南方熊楠に見せていれば…と悔しがる荒俣宏。 対談相手の学芸員さんが山形県出身とのことで、最上三十三観音、特に第一番若松寺などで見られるムサカリ絵馬との違いからも供養絵額に見られる遠野の信仰の独自性(遠野には地蔵信仰がほとんどないp.203、近年まで火葬ではなく土葬p.204)を紐解いていて興味深い。
ちなみに荒俣氏は2010年6月に刊行された『荒俣宏・高橋克彦の岩手ふしぎ旅』の元となった旅(2009年10月〜12月)で供養絵額を知り、翌年2010年3月刊の角川「怪」vol.0029にてこの対談を行なっている(『岩手ふしぎ旅』の発売前に!)。その後2016年『荒俣宏妖怪探偵団:ニッポン見聞録』でもまた善明寺を訪れているようだ。