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新訳 弓と禅 付・「武士道的な弓道」講演録 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)(Kindle版)

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しんた
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確かに弓道は禅と通じるものがあるな。昔、剣道してたけど正座して黙とうしてたわ。当時は何もわかっていなかったが精神修行だったのか。「道」や「無」言葉で説明できるものではなくて年月をかけてわかっていくものなんだろうな。なぜか日本の武道が誇らしく思えた。
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石
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ドイツ人でも無我の境地が分かるんだったら、そういうのは実際にあるんだろうし、修行次第で、たどり着けるのだろう。とはいえ、自分が真似ようとしても、5年か6年で五段に達した達人と同じことが出きるような気はしないし、無意識のまま自然で適切な動作が出きるようになっただけなのでは、とも思えてしまう。弓道の動画でもあったら見てみようと思う。
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なつ
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心穏やかになりました。美しい文章だと思いました。しかし、なぜ美しいと思ったのかを言葉で表せません。ただ禅には美を感じる何かがあるのだな、というのは私はちゃんと知っているのです。弓も剣も筆も目的ではなく、目的地に向かうきっかけのひとつということ。「実践、沈思の実践」の場を整えるために、ものの力を借りるのですね。精神と身体。相対するもの。本来は分けることはできないし、そもそも分ける必要がない。「分ける」の概念は元々日本にはなかった。日本人で良かった。禅実践の地盤はある。
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Ryuya  Matsumoto
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弓だけでなく、杖術の一突き、体術の一手についても考えさせられる。稽古に向かう心持ちが変わる本でした。
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Kei
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日本人は、弓道の「道」を、主に肉体的な訓練によって、的に「中てる」ことが標準となる、誰でもが多少なりとも出来るようなスポーツ的な能力ではなく、その根源は純粋に精神的な修練を追求する能力であり、その目標は精神的に中てることにあり、その結果、射手は結局のところ自己自身を狙い、そのことによって、自己自身を射中てることに達する能力である。
Kei

的が私と一つであることは、仏陀と一つであることを意味します。そして私が仏陀と一つであれば、矢は存在と非存在の不動の中心──したがって的の中心にあるのです。矢は中心にある──このことは我々の目覚めた意識からすれば、矢は中心から来て、中心へ行くことを意味します。

07/21 13:22
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teddy11015544
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弓の達人は最後には弓と矢を見ても何に使うものかわからなくなる、という話を思い出した。達人も年を取って中風になり、失認や観念運動失行になったのだろうと思います。なんて冗談が効かないほど日本人のものの考え方を説明してくれる本。道の在り方、師弟関係の在り方、など戦前・戦後まもなくに書かれた本ですが、古さは感じない。名著なのか、はたまた神秘主義のオカルトなのかというのは実際のその世界の経験があるかどうかで判断が異なることになると思います。ちなみに私にはとてもそうだよねとうなづけるところがありました。
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