形式:単行本(ソフトカバー)
出版社:松籟社
東欧(中欧)を祖とする作者たちは、自国や故郷の政治的な状況と不可分である。ここ10年程で作者の政治的主張を忌避する者が着々と増加しているが、それは平和な、侵犯のない、民族間抗争のない、公的な差別のない日本ぐらいにしかない特徴であると確信に至る。尤も、忌避されるのは、政治的主張が中高生レベルで、多国間の折衝など考慮せず、「平和!」「日本は戦争する!」という主張が大部分であるというのもあるとは思うのだが。
名は伏せるがミロスラヴ・クルレジャの紹介者はとてつもない悪文であった。衒学的な語を多用し、小説の概要は主観的で、一体彼がどれほどの影響を与え何を現したのやらてんで伝わってこない。小説内であればその文でも構わないのだが、小説家を広く説明する文でこれはないのではないか。ブンガクを極めたかたちだと思わざるを得ない。
スロヴァキア独立国の支持者だった作家ヨゼフ・ツィーゲル=フロンスキーは、遺作の中で「スロヴァキア国民蜂起はソ連の策略」と主張していた(p. 97)とのことで、イヴァン・ポープとかの「ワルシャワ蜂起と同様に、主導権を地元に取られたくなかったソ連が援助しなかった」という見解とは全く異なっている。どうなんでしょう。ただスロヴァキア国民蜂起には行き場のなくなったヴラソフのロシア解放軍とかも関わっているので、「ソ連が援助した」ってことはないんじゃないでしょうか。わかりません。
カダレが「反体制知識人」ではないという井浦伊知郎先生の重要な指摘(p. 164)。日本語wikiだと今でも「体制とは仲が悪かった」みたいに書いてあるの、あれは「東欧圏の作家が必ず反体制派だった」という一種の幻想だよな。事実カダレは公然たる反体制派の硬骨漢トレベシナを非難したこともある(p. 169)そうで、東欧そのもののように単純ではないものである。あと冷戦中にロンドンでブルガリアのスパイに暗殺されたマルコフも作家だったのは知らなかった(p. 191)。まだまだ日本に入って来ていない作家がいる。
邦訳がある作品をきちんとリストアップされているところも素晴らしいです。読みたい本の邦訳がなくて英訳本を買ってしまったけれど果たして読了できるでしょうか…。
東欧を知るということは、ヨーロッパを知るということでもあります。ノーベル文学賞を受賞したヘルタ・ミュラーや最近亡くなったギュンター・グラスなどの「複雑な出自の」作家も取り上げられますが、ヨーロッパからなぜたくさんの文学作品が生まれるか、本書はその理解にとても役立つと思います。
とりあえず、ベルンハルトに対する自分の中の偏見を捨てて、長編を読もうかなと思った。そして松籟社が出してくれる東欧の本を少しずつ読むしかなさそうな、そんな現状でしょうか。なにしろ翻訳本は売れないらしいし、東欧?ナニソレ?美味しいの?とでも思う人が多いだろうから。
「邦訳なし」に読みたい本が多すぎるんですけどね。
読んだことがあるのは、ポーランドのスタニスワフ・レム、チェコのカレル・チャペック、ミラン・クンデラ、ヤロスラフ・ハシェク、ハンガリー出身のアゴタ・クリストフくらいで、あとは名前も聞いたことがない人たちばかり。
ですよねー。この本は何度も改訂されてじわじわと味が出る一冊に思えます。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
東欧(中欧)を祖とする作者たちは、自国や故郷の政治的な状況と不可分である。ここ10年程で作者の政治的主張を忌避する者が着々と増加しているが、それは平和な、侵犯のない、民族間抗争のない、公的な差別のない日本ぐらいにしかない特徴であると確信に至る。尤も、忌避されるのは、政治的主張が中高生レベルで、多国間の折衝など考慮せず、「平和!」「日本は戦争する!」という主張が大部分であるというのもあるとは思うのだが。
名は伏せるがミロスラヴ・クルレジャの紹介者はとてつもない悪文であった。衒学的な語を多用し、小説の概要は主観的で、一体彼がどれほどの影響を与え何を現したのやらてんで伝わってこない。小説内であればその文でも構わないのだが、小説家を広く説明する文でこれはないのではないか。ブンガクを極めたかたちだと思わざるを得ない。