形式:文庫
出版社:新潮社
形式:単行本
形式:Kindle版
◯「タニシの化石がたくさん見つかります。それをおタニシみに〜!」ぅお"!親父ギャグじゃねーか!◯「トウタってのがあるんだ、生き物には。弱肉強食っていうか、弱いヤツは負けちゃって、負けたヤツは追い出されるしかないんだ。それが生き物のルールなんだ」人も動物、文明が進歩しても根本は変えられないのか?◯戒名の終わりが『童子』とか『童女』は子供のホトケさま、『孩児』『孩女』は赤ちゃんくらい。知らなかった〜
◯『現実では決して起きない奇跡を信じるために、人は物語を語り続けてきたのではないか。現実にはあり得ない荒唐無稽の話や出来過ぎのような人情譚を、人はそれでもそんなことがあるかもしれないと信じ、あってほしくないと恐れたり、あってくれたらいいと祈ったりしながら愛してきたのかもしれない』なるほど〜◯作家さんって、自分の書いた小説の登場人物を『あいつ、いまごろどこでなにをやってるんだろうなぁ〜』などと考えるんですか!びっくり。それとは逆に沢山の登場人物を物語に呼びつけては忘れるというのは、いわば使い捨て〜だって。
いう小さな問題ではない気が。もう一億総中流でなく様々な階層が分断され点在した社会であって、その中の異種とみなされた者を排除する、あるいは、みんなそれぞれに異種なので、自分がそう見なされないよう犠牲者を仕立て上げる。いじめられないためにいじめる。その一方で生まれた時から極狭の空間で育つ者は共生を知らず、違和を感じる者をただサディスティックにサイコパス的に攻撃する。そんな時代に昭和的のいじめを持ち出しても助けようがない。
だから学校自体も共生をあきらめ、授業もリモートでいいと言い出したではないか。まあそれも違う気がするが。
「現実の世界を救うことはできなくても、いつか、誰かが、現実の世界を愛そうとするときの手助けになるだろう。」という言葉がグッときた。 自殺じゃなくても生きとし生けるものは死は当たり前におとずれるものだから、自分がそちら側に行くとなると、現実を生きる人には止まった時間を生きて欲しくないなって思ってしまった。それは生きながらに死んでるようなものなんじゃないかな。自分を生きて欲しいと思った。 そのために信じること想像することは、すごくすごく希望だと思えた。
読んでて胸が詰まりした。親として何ができるか自問自答しながら読み切りました。 「親」という字は「木の上に立って見る」の通り、子供の世界に介入し過ぎるのも良くないと思いますが、どうなんでしょう?
ともさん☆木の上に立ってる。確かに。余りにも子供の世界に介入しないのは、危なそうなのに問題ありそうなのにと思ったら今は危険かと。昔(昭和)の方が子供の問題に介入しなかったでしょう。不安な心配な事は介入した方がいいと思うな。
さおりさん、淡々としているのに熱いレビューですね。最後は嗚咽ですか。重松さん泣かせてきますよね。
えんちゃん。最終章の前の章の時点で既に嗚咽してましたねー。前半はいじめが酷くて、はーもう読みたくないよーってなってたのですが。泣かせてくるんですよね。そんで、そのことを揶揄しているような感じもありました。全部ひっくるめて、重松さんて感じ。
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