私の通学路だった明治通りの踏切番は毎日半裸で洗濯物を干していた。私が撮り鉄だった頃、田端・尾久の機関車や客車の被写体にはキャッチボールばかりしている邪魔な国鉄職員が写り込んだ。尾久の定食屋には昼から作業服を着た国鉄職員が飲酒していた。大学の交通論ゼミ友達の❝国鉄の破綻❞を数字から指摘したレポートを読んで至極当然と思い完膚なきまでに潰れればいいと思った。国鉄⇒総評⇒社会党のドミノ倒しは痛快だった。
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本書の成立は分割・民営化推進派=勝者側の資料提供に拠るところが大きい点に留意が必要かもしれないが、実力行使で職場を占領地化してヤミ手当等の悪慣行のような歪んだ「労使協調」にもたれかかり、セクト思考でいがみ合う組合の姿からは、労働運動の「大義」は見えて来なかった。国鉄解体に伴う国労解体は、公務員の労働基本権という論点と民間の労働運動の双方の衰退にとって重大だったことも見逃せないが、正規/非正規が新たな階層と化した現在にとってあるべき労働運動を考えるうえで、その顛末は大いに戒めにすべきものを含むと思う。