形式:単行本
出版社:吉川弘文館
形式:Kindle版
◆p286 「文明に抗った弥生人」に対し「縄文の伝統的な秩序を維持せざるを得なかった」という観点からの説明が大変分かりやすい。現代の村社会でも「機械を導入すると村人の仕事がなくなるから買わない,村の暮らしは妬みが多くて大変」という状況を挙げ、筆者は弥生人の「金属器時代にあっても石器等を使わざるを得なかった」という状況に重ねる。なるほどと思う。つまり、都市と地方だと。どっちがイイって事じゃなく。こう考えると現代も古代も変わらないなとも思う。
◆江戸時代→明治時代も同様だと思うし、更に言えばインターネットが出てくる前と後の時代とかも。自分の体験で考えても、今は「電子書籍ベンリ!大好き!」って思うけど、最初「本はやっぱ紙じゃね?」って思ったしね(笑)
レキシというミュージシャンの『狩りから稲作へ』という歌(半分日本語ラップ)で当時の人々の心情が歌われていて、おふざけなのに妙に納得しました。機会が有れば是非。
Yohei Hommaさん コメントありがとうございます。レキシさんの情報ありがとうございます。探してみますね。
従前の定義によると、「現在の国境の内側で「食糧生産を基礎とする生活が開始された時代」が弥生時代」だったわけである。「国境が存在しない当時の社会において、水田耕作を行っていた朝鮮半島南部の文化と日本列島とを佐原のいう基準のみで区分することは、考古学的にはできない」のであるという。
本書は決して、弥生時代の概説書とはいえないかもしれないと、著者は言う。むしろ、「東から西への視点を軸とした弥生時代像」が示されている。その意味で、ポレミカルな野心的な書と言えるかもしれない。面白かった。(詳しくは、明日のブログ記事で http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/ )
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