形式:新書
出版社:筑摩書房
形式:Kindle版
夏目漱石は学生時代に「吾輩は猫である」と「こころ」とか読んだけど、神経衰弱になる前の書籍の方がとんがってる部分があるらしい。その時は、まったくそんなことには及びもしなかったので、機会をみつけて読んでみたい。半藤さんの著書は年に1冊以上読み続けていきたい。表だけでなく、裏の言い分も含めての自分史観を持っている方。歴史は捉え方でいかようになるとも教えられた1冊だった。ジャーナリスト史観というか、しっかりと歴史を検証する姿勢、人の言動を鵜呑みにしないこと、雰囲気にのまれない冷静さが大事だと思った。
トモさん、おはようございます。生の戦争を知っている人達の中にも、その悲惨な現実を話そうと思ってくれる方はそう多くないんですよね。大切に拝聴したい思いです。
yominekoさん、おはよ☀️戦争当事者にしか持ち得ない思いは必ずありますね。長らく戦争をしていない日本人にとっては、歴史に学ぶことは本当に大切だと思っています。
ゴールデンウィークに岩国基地を訪れた。米軍の戦闘機や軍備の数々は威圧的ながら、恐怖の中にどこか格好良さを感じ、憧れを誘われた。憲法護持派の私でもそうなのだから、これを目の当たりにした自衛隊がこれら攻撃用の軍備を欲しがるのも、さもありなんと思った。半藤氏の書いた「軍隊というものが自然に思い描く力の信奉」をリアルに感じたと言っていい。しかし、憲法・法律や為政者、国民がそれを断固として許してはならないのだ。日本は平和を維持するために、武器による力以外の道を採ると、敗戦したときに決めたのだ。
日露戦争の頃、三国干渉と臥薪嘗胆、政府が国民に忍耐を強いることじつに十年。重税と貧困、徴兵によく耐えたと思います(149頁)。166頁に書いてあるように、人間がコセついて、まるで今の日本人の自分だけよければいいという、そういう現代日本社会を言い当てていた。自惚れた日本人が、自らへの批判を許さないほど傲慢、不遜になっていることに、漱石は気づいています。日本人はかつて、悠々と落ち着いた気風をもっていたのではなかったか(178頁)。「現在やこれからのあり方を知る」ためにこそ歴史はある(190頁)。
独裁者が、力の行使に必要な警察や軍を掌握すると、必ずと言っていいほど実行することは粛清なんです(235頁)。
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