形式:文庫
出版社:早川書房
執筆当時概念的に考えられていたにすぎず、未だ名前も知られていなかった「インターネット」を既にコンピュータネットワークとして作品の中で縦横無尽に使っている。あるいは江戸時代の風俗や社会の仕組みを把握した上での短編。「首都消失」として映画化される「物体O」という短編は無駄を削ぎ落とした作品だと思う。本書収録作品は全て既読であったが、いい機会であった。
「地には平和を」、「時の顔」、「紙か髪か」、「御先祖様万歳」、「お召し」、「物体O(オー)」、「神への長い道」、『継ぐのは誰か?』
読んだばかりで申し訳ない。「継ぐのは誰か」ですねえ。他の作家でこう云う題名があったのかも知れないが酷すぎますね、表題にもなっているのに?
同感です。私もSFが好きになったのは、フレドリック・ブラウンと小松左京のおかげです。
フレドリック・ブラウンもいいですよね~
初期作品ということもあって、若さを感じさせられるものも多い。「物体O」には、こんな記述がある。「青春の絶望とは要するにないものねだりだ。水爆が落ちるからと言って絶望し、落ちないからと言って絶望する。戦争があるからと言って絶望し、戦争も革命もないからと言って絶望する」長編から唯一選ばれた『継ぐのは誰か?』は、なんと青春小説の趣きがある。当時、30代だった小松左京自身も、まだ充分に若かったのだ。それでいて、SFだからこそ問える「人類とは?」という壮大な疑問に対して果敢に挑んでもいる。(つづく)
編者解説で日下が何度も言っているが、日本SFの最初期に小松左京を得たのは本当に幸運なことだった。
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