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「コミュ障」の社会学

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ネギっ子gen
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【社会というものは、そこから漏れ落ち(かけ)た時に、よく見えることがある】「社会と繋がりにくい」と見なされながらも「社会」に繋ぎ止められている存在にアプローチした書。巻末に参考文献。2018年刊。<小学校時代をほとんど学校に行かずに家で過ごしている。学校に行かなかったことで、あるものを得、あるものを失った。それだけの話だ、と言ってしまってかまわない。みなが行くべき学校にひとり行かないという経験は、私に人と人、人と社会とのつながりについて考える契機を与え、その後の私を不登校という研究テーマに 誘った>と。⇒
ネギっ子gen

【働くことを、「食い扶持をえること」や「子どもを持つこと」、「アイデンティティの帰属先であること」などと切り離し、「社会とつながる」活動を幅広く指すものとして、緩やかに構想すべし】<親元を離れ家族を持ち自活する上で必要な資金を、たった一つの仕事から得るのではなく、基本的な所得保障といくつかの仕事の組み合わせから得ていけるようにする。所属も多元化し、一枚の名刺やIDカードが「その人が何者か」を明かすのではなく、複数の場や関係性を束ねる結節点として、自己の固有性が証明されるようなかたちにしていく>と。ええ……

03/19 09:28
ネギっ子gen

【「書く」ことで社会とつながる】<「書く」ということは、社会と関わるひとつの手段だ。生きづらさを抱える人が、「書く」ことを通じて社会とのつながりを取り戻すことがある。何を書くのか?その内容は、さまざまでありうるだろう。でも、せっかく生きづらさに恵まれたのだから、自分の人生を「研究」「取材」して、書いてみるのも悪くない。/社会と関わるには、いろんな方法がある。/ネットの掲示板を見たりすることも、広い意味では「社会と関わる」ことになる。/そのなかで、「書く」ということは、「情報を生産する」という行為だ>と――

03/19 09:30
7件のコメントを全て見る
0255文字
Junk
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コミュ障と書かれているのでもっとライトな内容を想像していたが、不登校を中心とした中々深い内容だった。 不登校は病気ではなく学校に行かなくても問題ないという風潮は一般化しつつあるが、学校を卒業する年齢になり、社会に出る必要が迫られたときに社会はその人らを受け入れるまでにはまだまだなっていない。 不登校を認めるだけでなくその先のことも考慮して社会は体制を整える必要があるのだろう。
0255文字
昌也
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「生きづらさ」という言葉は再考の必要があると考えている。著者は増殖ととらえているが、「認知」の拡大の意味であろう、著者は朝日新聞の記事検索で「増殖」として理解しようとこころみている(p43)。
0255文字
tharaud
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不登校と若者の生きづらさがテーマ。若者の「居場所」の意義について、これまで読んだ中でいちばん腑に落ちた。最後に収載されている、著者が自身の家族とのあいだに起こる出来事について考えたエッセイがよい。ちょうどお盆の帰りの電車の中で、自分の家族のことを考えながら読んだ。
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しゅんす
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第1部まで読了。とりあえず。 「コミュ障」「不登校」「生きづらさ」をキーワードに書かれた社会学、教育社会学本。筆者の貴戸さんは不登校の経験があり、その後教育者となり、親となっている。さまざまな立場から当事者研究を進めている。 「コミュ障」とは。「不登校」とは。「生きづらさ」とは、という問いを立て、方向性を探る第1部。
しゅんす

社会というものは、そこから漏れ落ち(かけ)たときに、よく見えることがある。薄くなって初めて空気の存在に気づくように。 冒頭部。貴戸さんのレトリックに富んだ語りが魅力的。いくつもの論考がまとまっている為、重なっている箇所もいくつかあるが、「生きづらさ」を緩やかなまとまりにしながら別々の話題にチャレンジしている。個人的には「当事者」概念の拡大が狙われていて、読者が抱える「痛み」や「生きづらさ」に輪郭を与えようとしていると感じられた。それが本書で言う「対話」「共同性」「豊かさ」に通じているのか?

08/22 23:25
しゅんす

「当事者」の言葉を孫引きするのはあまり良い気がしないが、グッときた表現を。「自分の身体の奥から出て来た言葉に愛着のような温かい感覚を持てたし、僕の書く文章が外部からのいい反応に生き生きとリズムを打っている実感も感じていたと思います。僕は自分の身体から生まれて来たこのようなイメージに旅させたいと思う。」 痺れた。内田樹のヴォイス論を初めて読んだ時のことを思い出す。だから、僕は詩に惹かれているんだろうか。漏れ落ちたり、痛みを伴ったりするときに自分の輪郭が分かること。前からの興味。

08/22 23:33
0255文字
takao
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ふむ
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Go Extreme
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「コミュ力」時代の生きづらさ: 若者の対人関係 「生きづらさ」の増殖 リスク社会と不登校 「当事者」と「専門家」: 「生きづらい私」とつながる「生きづらい誰か」 「学校」の問い直しから「社会」とのかかわりの再考へ 不登校のこどもの居場所を運営する人びと 新たな「社会とのつながり」へ: 「働かないことが苦しい」という「豊かさ」 「自己」が生まれる場 不登校からみる共同性 書くことのススメ 「当事者」に伴走する: 「当事者」に向き合う私とは 家族とコミュニケーション 学校不適応でも大丈夫と言いつづけるために
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メンヘラちゃん
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学校などの休み時間で楽しい会話ができるコミュ力の高さは必要ないから安心なさい! 語ることの重要性。引きこもりの原因を聞きたがる人には、それなりの作話も必要かもしれませんよと。
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夜間飛行
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タイトルのミスリード感が…
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えりまき
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2022(23)とても勉強になりました。分かりやすい言葉で読みやすい。コミュ障の人は、コミュ力不足よりも、自分は周囲からどのように見られているかが気になり余計しんどいと。コミュ力不足により感じる生きづらさや不登校。1980年代後半、不登校は病理・逸脱とされ強制登校、矯正施設への入所や精神科への強制入院をしていたとはショックです。不登校は1990年代には「見守り」、2000年代は「発達障害」へ。歴史は繰り返す。洗脳とも言える学校教育、世間の常識。時代と共に変わる正義。コロナ以降の常に社会の変化を感じます。
0255文字
Yasuo Mori
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タイトルに惹かれて読みましたが、コミュ障の話は導入に使われてるだけでしたね…。
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まうんとふじ
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できれば2021年に読み終えたかった 当事者として関わりたい
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江藤 はるは
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弱くなれる理由を知った
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ラスト
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大雑把に言い表せば、具体的に言い表せない「生きづらさ」を抱えている人にはおすすめしたい本。不登校の子供の行き場ってどこなのだろうかと疑問に思ったことは過去あったが、この本でフリースクールなるものを初めて知った。
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レイノー
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2018年刊行。著者は関西学院大学准教授(社会学)。◇図。◆かつて学生時代に不登校の経験ある著者が、不登校問題の実像を開陳。居場所論、支援者論(家族を含む)にも言及。◇不登校経験者。支援者にもなり、居場所形成にも参画した著者ではあるが、それが研究者の論考として是となるかは悩ましい。当事者だったが故に俯瞰に見れない。抽象性・一般性に欠ける。あるいは自分語りとしか思えないところは彼方此方に見受けられる。◇ただそれ故に、引きの強い表現も充分存する。例えば「エンタメとして人を侮る力=コミュ力」という実像。
レイノー

言動。特にみくるに対するそれに憤りしか感じなかったこと、何故こんな作品が当時の若年層に訴求したのか全く理解できなかったこと。この違和感を上手く言語化してもらった。そんな感慨を生んだ書であることは確かである。◇あるいは、不登校を問題視しない社会(=教育提供側)の態度・行動は、それは自己責任論に投げることと同値。社会性の回復・復元・復活に意味があるかは限定的。また、登校の社会的価値が下がったとしても、この事実が就業実現に意味があるという事実に変化はない。その上で、就学と就業の連結性も乏しくなっている。

11/29 21:11
レイノー

これが亢進するにつれ、学校に行かなくても不安。言っても不安という構造を生んだだけだと。◆なお、描き下ろしを除き、05~15年の論考の集積である。

11/29 21:12
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0255文字
De PalmaX
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不登校経験者として記述の生々しさというか、感じる切迫感はなかなかのものだった。"生きづらさ"というものが特定のマイノリティが感じるものだけでなく、全ての人にとってのものとなっている現代。"生きづらさ"の苦しみを緩和させるには、特定のコミュニティで盛り上がったりその場をしのぐためのコミュニケーション能力ではなく、ゆったりとした対話の中で生まれる"場"としてのコミュニケーションが大事なのかな、などと思う。非常に面白かった。
0255文字
Yonowaaru
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ここに一人の研究者の現在地がある。確かにコミュ障という問題意識から遠ざかるところも多いのでタイトルは少し不適切といえないこともないが、そこにちゃんと言語化されている研究者としての筋が通っていて、大学院生というんもの一つのモデル像を見てしまう。そして、最後に挙げられた「コミュ力が高ければ高いほど、異文化コミュニケーションが苦手になるのでは」という命題、今後書いていくのなら、また読んでみたいと思う。
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おかでぃ
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ネタバレ閉鎖的で時代錯誤な常識がはびこる学校。 集団心理で周囲に合わせられる能力が重視される職場。 など現代日本社会の異常性の話から入り、働けず引きこもる若者の生きづらさの理由、生きづらさを緩和する提案が書かれている。 生きづらさを抱える人にとって「自分を語る」ことを重要としている所は共感できる。 いまの日本は良くも悪くも生き方の選択が自由にできるとされている。 そのため自分はどういう人間か、どのように生きたいかなど自分のことを把握する必要があると思う。 タイトルにコミュ障とあるが大抵の人が当てはまる内容です。
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やまざき
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『コミュ障』といいつつ、不登校の話がメイン。苦しい思いをしながらも学校にきちんと通い、学歴を得て社会で働いている人からすると、甘いこと言ってるなと笑われてしまってもしょうがない部分も一部あると思う。
0255文字
ニッコリ
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コミュ障というよりかは不登校、引きこもりを中心とした「生きづらさ」をテーマにした本。中3も理解できる言葉が多いが、内容がとにかく難しいので何度か読む必要があると思う。現在不登校ほぼ引きこもりでコミュ障をネタにして人に話す自分からしたら刺さる部分が多かった。生きづらさを抱える自分をそのまま受け止めてもいいんだって思えて少し気持ちが楽になった。
0255文字
ゆうせい
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コミュ障というテーマだったけど、総体的には「生きづらさ」がテーマの内容だった。今の世の中は、ジェンダーであったり、マイノリティな存在であったりと、生きづらい人の定義が一括りにできない。誰しも該当するものであり、生きづらさを感じる要素を持っている。そして生きづらい中でも、自分の生き方を肯定し、生きていくために大人側が子どもを守っている世の中について理解ができた。内容はかなり難しかったが、もう一度読んで理解していきたい、
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貧家ピー
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不登校を経験した著が、27歳から39歳まで「コミュニケーション」「生きづらさ」「不登校」「当事者」について書かれた文章を集めた一冊。
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ムーミン
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実際に目の前で困っている子どもや保護者に対応しようとする際、ある程度パターン化されたカテゴリーがあると、短時間で少しでも適切な対応が可能になる側面がある。とはいえ、やはり百人百様の事実があり、困り感があることを実感するにつれ、たくさんの経験とその中で得た知識や肌感覚こそが救う力になることも強く感じる。これからのことを考え、葛藤の毎日です。
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♋︎
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生きづらい人というのがあるけれど、逆に生きやすい人なんてのは居るんだろうかと考えていた。この本では、だからこそ他人の生きづらさを我がこととして誰もが考えることができるとある。本当にそうだ。
0255文字
Carol
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「世の中には『物事』には何か明確な理由がなくてはならない人達(おもに先生、親)ってのがけっこういるので、その人達のために私は“わかりやすい理由”を考えてやらなくてはなりません。」という当事者の言葉にぐさっときた。私も学生に対してわかりやすい理由を求め、自分の尺度でカテゴライズしようとしてしまっているんじゃないか。そう思った。唯一の正しい答えはない、肝に銘じよう。
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のん
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コミュ力の無さを自覚し、生きづらい人はコミュ力が無い自分を客観的に見ている。同じように、働いていないことが辛い人は、「働くべき」という社会の規範を内面化し、働いていない=価値のないと社会から見られているのではないかと客観的に自分を捉えている。この2つはパラレルな関係にあるように思えるし、他にも似たような事象は多いのではないだろうか思った。 不登校経験を持つ大学教員である筆者が不登校について「コミュ障」や「生きづらさ」をキーワードに展開しており面白かった。誤字がところどころあったのが残念。
0255文字
k,
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ちょっと口下手だったり大人しかったり理路整然と話せないからって「コミュ力がない」とか「コミュ障」とか言われるようになったのっていつからなんでしょう。喋るのが苦手ということと人格にはなんの関係もないはずなのに、人として劣っている部分だと思わされるようになってしまった。”まともな人”として”まともな人生”を送る道を一度外れてしまえばアウトな今の日本だけど、そもそも”まともな人”なんていないんだし、子供たちには堂々と「学校に行けなくても大丈夫」と言える社会がいいなと、元不登校児は思います。
0255文字
ろくせい@やまもとかねよし
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学校での不登校問題を題材とした社会学の論説。現代に尊重されるコミュニケーション能力が示す社会的要請と一般社会で流布する意味の違いを整理し、学校卒業後の「社会とのつながり」の重視を提案。不登校問題は認知された1950年代から精神的な「病理」と解されたが、80年代から不登校は病理で括れる範囲を超えた社会問題として、その受容への理解が進んできたと紹介。日本の教育政策の、できるだけ学校で学びを積み、その後終身就職するという強い価値規範が本質的な問題と考察。「不登校」に関する様々ケースの分析で説得を試みている。
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塩崎ツトム
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現代はわかりやすい敵が不在であり、世の中が広く複雑になっているため、「いきづらい」人間は否応なく「自己責任」にされてしまう。他にわかりやすい責任の所在が見つけられないのだ!しかし自己責任論やコミュニケーション能力に「いきづらさ」の原因を求めるのは、なにも言ってないのと同じだ。
0255文字
mit
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ある特定の属性ではなくて「生きづらさ」という状態から不登校やコミュ障を分析してるのがよかった 筆者が当事者として内省的に経験談を語るのもいいし、インタビューにもかなり価値がある 語り口も構成も好みでまた読み返したい
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スゥ
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ネタバレ貴戸さんが色々なところで発表した論文をまとめた本。だから前の章で述べていることが繰り返し出てきたりと統一感がなく、少し読みにくかった。 「コミュ障」とあるから軽めの本なのかと思いきや大違いで、中身は「不登校・引きこもり(のその後)」についての考察。 ☆気付き 不登校の人が自信を持てるようになるには→自分のことを深く考えることで「生きづらさ」の理由や居心地のいい環境が見えてくる。善・悪の二項対立にしない。/支援者の心構え→自然に側にいる/不登校でも大丈夫と言う大人→大丈夫にするという決意表明でもある
スゥ

幼い時は自分自身が成長し変化していくため、自分の周りは変化しないものと考えないと「自己」を保つのが難しいのかもしれない。(取意) だから同じような環境に6年いても飽きなかったというか、安定していたのかなぁ

06/02 08:46
0255文字
nama_com
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生きづらいことを自己責任として引き受けなくてもいい、自分の周りの場の問題として捉えなおすこともできる 「コミュ障」だけでなく、生きづらさを抱えているすべての人へ
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Mc6ρ助
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『考えなければならないのは、「社会性/コミュニケーション能力がある」とされる側についてだ。 ・・「コミュ障」を異端としてはじき出すコミュニケーションは、空気を読むことを自明とすることで、その空気を共有しない異文化との対話から遠ざかる。 ・・第二(異文化の人との意思疎通)の意味でのコミュニケーション能力が萎れている証左・・「グローバル化」や「ダイバーシティ」が強調される現代社会において、どのような対話のちからが必要とされているのか、それを培うべきは誰なのか。(p282)』社会学が解き明かす社会の変容・・。
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m s
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私はこの本を「コミュ障の人が社会にいかにしてとけ込めるか」みたいなことが書かれている本かと勝手に思って手に取ったのだけれど、どちらかというと不登校に重きを置いており、なおかつ内容は今までに書いたことの再録が中心だったので、求めていたものもは多少異なっていた。面白い部分もあったのだけれど、大方パラパラと見て終わり。逆に言えば不登校で悩みがある人にはいいのかもしれない
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mitya
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生きづらいのは全部自分が悪いという自己責任にしてしまいがちだが、そうではなく、構造的・社会的な問題があってそうなってしまう。自分のことを許せるようになったという不登校当事者の言葉が印象に残った。
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tenori
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「コミュ障」とあるが、この本は「不登校」と「不登校のその後」についてを主たるテーマに構成されている。 タイトルから想像する内容とは違っていたかな…と言うのが素直な印象。 とは言え、何でもかんでもコミュニケーションに紐づけられ、それがあたかも至上主義のごとくはびこることへの批判や疑問の提起は理解できる。
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saiikitogohu
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「コミュニケーションの裂け目にはまり込んでしまった人は、単に『そのときㆍ自分が気まずい』だけではなく、気まずさを自分に対して可視的にすることで、『気まずい自分を見る自分』を成立させ、そのことで気まずさを増幅させてしまう」「『あの人はいま裂け目に落ちた』と周囲の人に気づかれていること、それを意識してますます言動が不自然になってしまうことがしんどい…。そのなかにすっぽりとくるれていた間は意識する必要もなかった『社会』の…一端があらわれる。…そこからこぼれ落ちる自己にとって敵対的な異物としての『社会』」(11)
saiikitogohu

「共同性は①それが何かはできて初めてわかる、②個人によって選択されたり保有されたりしない、③その産出に時間がかかるうえ流動的で変化しやすい…他方、制度化は実践内容の確定、審査、評価をともなう。これに共同性はなじまない」「現場で産出されている共同性がどのようなものなのかを見極め、それをすくい上げる制度的枠組を構想していく必要」(217)「親にとって娘の成長は、世界の一部が変わることに過ぎない。だが、娘にしてみれば、自分が変わるのだから、取り巻く世界のすべてが変わる。それはとても不安な毎日のはず」(243)

01/01 00:44
saiikitogohu

「「学校不適応でも大丈夫」というのは、「本当にそうか」と真偽を判断できるようなものではなく、「何がなんでも大丈夫にしていく」という周囲の大人ちの決意表明だったのではないか、ということだ」(268)

01/01 00:47
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0255文字
アルミの鉄鍋
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★2 不登校、LGBT、皆んな違ってそれで良い。著者は社会学者の元不登校児の観点から説いている。たしかに当事者からの観点は良いんだが、家族からの観点ってそんなに研究対象としてないのかな。世の中、不登校当事者の観点ばかり。私の姉も不登校だった。当事者だけでなく親や兄弟も関わってくるけど、あまりそう言う点には述べていない。最後に少し書いてあるだけ。必要なのは当事者で動けない、届かないところを身内がどうやってサポートするかじゃないのかな。なんか腑に落ちない本だった。
0255文字
Asdf_QwertyZ
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シューレ大学、づら研には興味がある
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