「共同性は①それが何かはできて初めてわかる、②個人によって選択されたり保有されたりしない、③その産出に時間がかかるうえ流動的で変化しやすい…他方、制度化は実践内容の確定、審査、評価をともなう。これに共同性はなじまない」「現場で産出されている共同性がどのようなものなのかを見極め、それをすくい上げる制度的枠組を構想していく必要」(217)「親にとって娘の成長は、世界の一部が変わることに過ぎない。だが、娘にしてみれば、自分が変わるのだから、取り巻く世界のすべてが変わる。それはとても不安な毎日のはず」(243)
「「学校不適応でも大丈夫」というのは、「本当にそうか」と真偽を判断できるようなものではなく、「何がなんでも大丈夫にしていく」という周囲の大人ちの決意表明だったのではないか、ということだ」(268)
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
【働くことを、「食い扶持をえること」や「子どもを持つこと」、「アイデンティティの帰属先であること」などと切り離し、「社会とつながる」活動を幅広く指すものとして、緩やかに構想すべし】<親元を離れ家族を持ち自活する上で必要な資金を、たった一つの仕事から得るのではなく、基本的な所得保障といくつかの仕事の組み合わせから得ていけるようにする。所属も多元化し、一枚の名刺やIDカードが「その人が何者か」を明かすのではなく、複数の場や関係性を束ねる結節点として、自己の固有性が証明されるようなかたちにしていく>と。ええ……
【「書く」ことで社会とつながる】<「書く」ということは、社会と関わるひとつの手段だ。生きづらさを抱える人が、「書く」ことを通じて社会とのつながりを取り戻すことがある。何を書くのか?その内容は、さまざまでありうるだろう。でも、せっかく生きづらさに恵まれたのだから、自分の人生を「研究」「取材」して、書いてみるのも悪くない。/社会と関わるには、いろんな方法がある。/ネットの掲示板を見たりすることも、広い意味では「社会と関わる」ことになる。/そのなかで、「書く」ということは、「情報を生産する」という行為だ>と――